601話
5月に入り、雄太はダービーに出走する事が出来た。だが、やはり結果は出せずに終わってしまった。
「……ダービー獲りたかったなぁ……」
「雄太くんの目標の一つだもんね」
「やっぱりダービージョッキーって言われたいんだよな。難しいってのは分かってるんだ。でも、子供の頃からの憧れだし、いつかは獲りたいって思ってる」
「うん」
凱央が昼寝をしている間、夫婦二人の時間は甘い雰囲気が漂う。
ソファーに座って、春香の肩を抱きながら寄り添う。胸元に頭をチョコンと預けている春香は可愛いと思う。
「来月、アルと宝塚記念なんだよね?」
「ああ。調子良さそうだぞ」
「良かったぁ〜」
天皇賞を勝ったアレックスの疲れが取れたようだと飯塚に聞いてから、春香は凱央を連れて会いに行ったのだ。
ご褒美という名のオヤツの果物を食べさせてもらい、心ゆくまで春香を舐めまくったアレックスは、遅れて馬房に現れた雄太にドヤ顔をかました。
「お前な……。マジでカームと同じような顔をして俺を見てるぞ?」
そう言った雄太に、アレックスはフンッと鼻息で答えた。
口をパクパクとする雄太と鼻で笑ったアレックスに、飯塚も厩務員達も涙を浮べながらゲラゲラと笑い転げていた。
「春香に懐いた馬は、何で俺の扱いが悪くなるんだか……」
「へ? そう? どの子も、雄太くんの言う事を聞いてるし、仲良しで相棒って感じしてるんだけど?」
「レースとかは良いんだよ。でもさ、トレセンでだと、絶対に俺より春香だぞ?」
ん〜と唸りながら、春香は思い出してみる。
「雄太くんは……相棒とか、一緒に戦う同士って感じなんじゃない?」
「ん〜。じゃあ、春香は?」
「……オヤツをくれる人……とか?」
「プッ」
春香の言い分に、雄太は思わず吹き出した。
「えぇ〜。違うかなぁ〜?」
「オヤツくれるからって舐めないだろ」
「そっか」
クスクスと笑う春香のオデコにキスをする。
「良いけどな。春香が馬に嫌われる人間だったら、俺が困るからさ」
「えへへ。全部の馬に好かれるとかは思ってないけど、出来るだけたくさんの馬と仲良くなりたいなって思ってるよ」
「そうだな」
これからもたくさんの馬に乗る事になるだろう。一度切りの馬もいるだろうし、長く乗せてもらえるかも知れない。実績を積めば新馬から乗せてもらえる事にもなるだろう。
(どんな馬でも、精一杯の騎乗をする。俺が出来る事を精一杯に……)
アレックスに後何回乗らせてもらえるかは分からない。馬主や調教師の考え方次第で、鞍上は変わるのだから。
「今年の宝塚記念は京都競馬場であるんだよね?」
「ああ。見に来てくれる?」
「ん〜。雄太くんの出るレースは全部見たいけど、また今度にするね」
「そっか」
春香を可愛がっている馬主達は、いつでも招待すると雄太にも言っていた。
だが、慎一郎との親子制覇の後、一部で批判されていたのを春香が知り、坂野達に話したのだ。
『儂等が言った事は、内緒にしててくれ。春香ちゃんは、馬主の儂等と仲良くしていて、鷹羽くんが贔屓されているとかの悪評を立てられたくないって言ってな』
『実力が乏しいから嫁の伝手で馬を回してもらってるとか言われるんじゃないかって言ってなぁ……』
『いくら春香くんが頼んでも、力量のない騎手には大切な馬の鞍上を任せんと言っても、アンチは納得せんだろうって言ってな』
自分の所為で雄太の悪評が立っては申し訳ないし、つらいのだと言う春香の気持ちが伝わってきて、不覚にも涙が出そうになったのだ。
馬主は金もかかるし、下手をすれば収支はマイナスになる。『金持ちの道楽』と言われる事もある。馬主になるのには厳しい条件があるのだが、知らなければ言いたい放題言われる。知っていても言われるのだが、人の口に戸は立てられない。
(人との争いは避けられるなら避けたいって言ってたもんな……)
それが自分の事ではなく雄太が関係するとなれば、尚更春香は避けようとするだろう。
いつか、何の気兼ねもなく応援に来てくれる事を心待ちにしている雄太だった。




