591話
3月14日(木曜日)
目が覚めた雄太は、隣で寝ていたはずの春香が、もう起きていなくなっている事に気がついた。
(疲れてるだろうに……。まぁ、疲れさせたのは俺なんだけどな)
昨夜、雄太がそろそろ寝室へ向かおうとした時、春香が雄太を呼び止め手を握ってきたのだ。
「ん? どうかしたのか?」
「えっと……ね。今日は一緒に寝たいな」
平日は、雄太は地下の自室で、春香は凱央と一緒に春香の部屋で寝るのが通常だった。
(どうしたんだろ……? 俺の誕生日……は明日だしな?)
「雄太くんの誕生日になる瞬間に一緒にいたいなって思ったの。駄目……かな?」
頬を赤らめながら、恥ずかしそうに笑う春香の姿ととんでもなく可愛く嬉しいセリフにテンションが爆上がりしたのだ。
そして、凱央が眠ってからタップリと春香を味わった。早朝から仕事と言う事を考えてはいたのだが、我慢が出来なかった。
「なぁ、雄太」
「ん? 何だよ、ソル」
調教が一段落ついた雄太と純也は、スタンドに上がりコーヒーを飲んでいた。
「何か、目の下クマってねぇ?」
「あ〜。ちょっと睡眠時間が短かった……からだな」
「珍しいな。寝付き悪かったのか?」
純也に訊かれ、雄太はニヘラと笑った。
「……その笑いは……」
「まぁなぁ〜」
昨夜、春香に言われたセリフをコッソリと教えると、純也はジト目で雄太を見た。
「そんなセリフ吐かれたら、そりゃ暴走して干からびるまでヤッちゃうよなぁ〜」
「だろ? 俺の誕生日になる瞬間に一緒にいたいとか可愛過ぎてさぁ〜」
「へいへい。春さん、未だに可愛いもんな。スゲェしっかりしてるなって思う時もあるのに」
純也はコーヒーを一口飲んで、雄太と春香は本当に似ていると思った。
普段の姿と場面場面で違った顔を見せる二人。
(次は、どんな顔を見せてくれんだろ〜とか思ったら、ワクワクするだろうし、変な言い方かも知んねぇけど飽きない……よなぁ〜)
横目で、調教師から騎乗依頼を受けている雄太を見る。さっきまでのデレた顔からは想像も出来ないぐらいにキリッとした顔で話している。
(あんなデレデレした顔をしてても、雄太ってG1騎手なんだよなぁ〜。俺も早くG1獲りたいぞ)
G1への騎乗依頼をもらう事も出来るようにはなったが、まだ優勝した事はない。
雄太が特別早かったのだが、それでも目の前にいる親友が早々にG1を獲ったのだから『自分も』と思わずにはいられない。
(梅野さんも早かったもんなぁ〜)
その梅野よりも早くG1を獲った雄太を天才だとマスコミや競馬関係者は持ち上げた。
本人へのプレッシャーなどは考えてもなかっただろうが、実際雄太がどれだけのプレッシャーがあったのかは純也も分からない。
ただ、その時には雄太には最愛の春香がいたから、プレッシャーでもあっただろうが、『春香の為に』と言う思いもあっただろう。
「あ、そうだ。俺ん家、建て替えしようと思ってんだ」
「実家をか?」
「ああ。貯金もそれなりに出来たからさ。父ちゃんと母ちゃんが歳喰っても安全で楽に生活出来るような家を建ててもらいたいなって思ってんだ」
「そっか。良い事だな」
騎手になって活躍して親孝行したいと言っていた純也の夢の一つが家を建ててやる事だった。
「んでさ、雄太ん家を建ててくれたトコ紹介してくれねぇか?」
「ああ。じゃあ、帰りに家に寄れよ」
「ん? でもさ、今日は誕生日のお祝いすんじゃねぇの?」
「それは、月曜日にゆっくりとするって春香が言ってたから大丈夫だ」
「そっか。んじゃ、お邪魔するな」
誕生日当日だと慌ただしくなるから月曜日にしたいと何ヶ月も前から、18日は予定を入れずに調整をしていたのだ。
「春さん、張り切って準備するんだろうな」
「自分の誕生日も、同じようにやってくれないかなって思うんだけどな」
「確かになぁ〜。春さん、雄太と凱央が最優先だもんなぁ〜」
「嬉しいんだけどな。だから、俺は春香を最優先したいんだ」
優しく、そして力強く言う雄太に、純也はニッと笑った。




