589話
翌朝、スッキリとした気持ちで目を覚ました雄太はベッドの中でググッと大きく伸びをした。
寝ている最中に、何度か凱央に蹴飛ばされ、苦笑いを浮かべながら元の位置に戻してやっていたが、しばらくすると小さいが力強くなった凱央の蹴りが顔面や脇腹に炸裂してくるのだ。
段々と笑いが込み上げてきて、忍び笑いをしていたら、春香が目を覚まして一緒に笑っていた。
(そう言えば、ベビーベッドの中で凱央が運動会してるって春香言ってたな)
たまに枕が足側にあったり、掛け布団が裏返っていたりすると言っていたのを実感した良い蹴りだった。
「おはよう、春香。凱央」
リビングのドアを開けると、凱央がトテトテと近づいてきた。エプロンを着けた春香がニッコリと笑う。
「雄太くん、おはよう」
「パッパァ〜、ア〜ヨ」
「お? おはようって言いたいのが分かるようになったな。凱央は良い子だな」
「ン」
ニヘラと笑った凱央の頭を撫でながら、キッチンに向かう。
「よく眠れた?」
「ああ……って言いたいけど、凱央の運動会が……な」
「疲れてる時の雄太くんより、走り回ってるもんね」
「ベビーベッド、破壊しないと良いけどな」
話している意味は分からないだろうと思っていると、凱央は小さな手で雄太の両頬をペチペチと叩く。
「お? 寝相が悪いって言ってるの分かったか?」
「そうかも」
顔を見合わせて笑っていると、やっぱり春香が良いと雄太は思った。
(ここで……うん。この馬は……)
午後になり、コレクションルームでレースの録画を見ていた。真剣に見ていて、サイドテーブルに手を伸ばしコーヒーを一口飲む。
(え? 温かい……。いつの間にか、入れ替えてくれてたんだな)
雄太がレースの見返しをし始めてから一時間以上経っている。真剣に見ていたから、いつ春香がコレクションルームに来ていたのかも気づいてなかったのだ。
(ありがとう、春香)
既婚者の先輩達からよく、『休みが少ない』『家族での時間が少ない』と言う妻からの愚痴を言われたと言う事は聞いていた。そして、鈴掛の離婚理由でもある『騎手の生活サイクルが辛い』を離婚までいかなくても、妻にこぼされたと言う話を聞いた事もある。
(春香も、結婚当初は体調崩したり疲れたりしてたもんな……)
撮影などで休みに出かける事が増え、少しでも家族の時間を増やす為に自宅にトレーニング機器を置いたりして、自宅に居る時間を増やした。少しでも、凱央の面倒をみる事で春香の負担を減らせればと思ったのだ。
それでもたまに疲れてるんじゃないかなと思う時もあるが、一緒にいる時が幸せだから良いのだと笑っている春香が愛おしい。
残っていたコーヒーを飲み干し、ビデオデッキとテレビの電源を落とす。カップを手にリビングに向かった。
「雄太くん、凱央を見て見て〜」
「え? ……馬?」
凱央はモコモコした茶色のぬいぐるみに見える手押し車のような物に乗って足で蹴りながら爆走していた。
「パッパァ〜」
「おぉ〜。凱央騎手だな」
「アゥオ〜。デデゥ〜」
「……何言ってんだろな」
ソファーに座った春香のほうに行ったかと思えば、器用に方向転換をして雄太のほうに向かってくる。
「どうしたんだ? これ」
「お父さんの友達で、木工細工してる方がいらしてね。その方が雄太くんの大ファンなんだって。でね、お父さんに『プレゼントしたい物があるんだけど、受け取ってもらえるかな』って訊ねてくださったんだって」
プレゼントを受け取りたくないと思っていた雄太だが、これは受け取らなかったら後悔するプレゼントだろうと思った。
馬に乗って爆走する凱央の写真を撮り、少し考える。
「どうしたの?」
「ん? あ、プレゼントのお礼は何が良いかなって思ってさ」
「うふふ。雄太くんにしか出来ないお礼があるじゃない」
「え? あぁ〜」
二人で顔を見合わせて笑い合う。
後日、木工細工師の家に段ボールが届いた。中には、雄太のサイン色紙とサイン入りゴーグルが入っていて、木工細工師は歓喜したと言う。




