577話
2月14日(火曜日)
「出来たぁ〜」
雄太が出勤してから、春香がせっせとキッチンで作っていたのはガトーショコラ。
初めてだからと何度も試作をしていた。最初は綺麗に焼き上がらず、東雲に持って行って、里美にコツを訊いたりした。
「味は最高だぞ?」
「そうかな? ありがとう、お父さん」
直樹から、春香の手作りガトーショコラを食べたと言う自慢話を聞かされた重幸は『直樹だけとかないぞっ‼ 俺も食いたいから凱央を診てやるから持って来てくれ』と電話をかけてきて無茶を言い、直樹達だけでなく春香も呆れさせた。
「重幸おじさん……。一歳健診の後で相談に行ったでしょ……?」
『毎月でも診てやるって言ったじゃないか』
「……凱央は少し標準より小さいけど元気だって、重幸おじさんが言ったんじゃ……」
『それは、それ。これは、これだ』
「重幸おじさん……」
結局、根負けした春香はガトーショコラを手に重幸の病院を訪ねる事なった。
そんな事を思い出しながら、粉砂糖をふっていたら、目を離すと危ないからと乗せられたベビーウォーカーで爆走していた凱央が、ゴロゴロガーガーと音を立ててキッチンのほうへ向かってきた。
「マッマァ〜」
「ん? どうしたのかな?」
振り返って見るとベビーウォーカーに乗せてあった馬のぬいぐるみが一つもなかった。
「あれ? さっき乗せて……あ」
ベビーゲートで近寄れなくしてあるテレビの前に、馬のぬいぐるみがコロコロと転がっていた。
せっせと拾い、ベビーウォーカーに乗せてやると、また爆走を始めた。
「ウ〜ウ〜。タ〜タ〜」
「凱央。お馬さん、もう投げちゃ駄目よ?」
「ン」
ゴロゴロガーガーと走りながらキャッキャと笑っている凱央はご機嫌だ。
(ん〜。あれは馬を散歩させてるつもりなのかなぁ……?)
帰宅した雄太に話すと、ゲラゲラ笑って凱央の腕を触っている。
「腕の力もついてきたんだな。飛距離が伸びたか」
「物は投げちゃ駄目って教えてるんだけど……」
「そうだな。でも、もう少ししたら覚えると思うぞ? 今日は、春香がガトーショコラに集中しててかまって欲しかったんだろ」
それもそうかも知れないと春香は思い、凱央を見た。
ほんの少しだけガトーショコラを器に入れてもらい、凱央はスプーンで上手く掬いながら嬉しそうに食べている。
「凱央、美味いか?」
「ンマンマ〜」
雄太用に甘くなり過ぎないように作ったから、凱央は食べられないだろうと春香は思っていた。
あまりにも強請るから、ほんの少しだけ口に入れてやると食べたのだ。
「いくら牛乳に浸しても、苦いと思うんだけどね〜」
「俺だけママの手作りのオヤツを食べてるのが嫌なんだよなぁ〜、凱央」
春香を巡る雄太と凱央の戦いかという感じで言われると春香は照れくさくなり苦笑いを浮かべる。
ガトーショコラを存分に味わった雄太は、春香にありがとうのキスをする。
「ありがとう、春香。マジ美味かった」
「うん。雄太くんが喜んでくれて良かった」
高級なチョコレートを買ってもおかしくはないぐらいに、雄太の収入は高くなった。だが、雄太自身がそれを求めていないのだ。
(お金をたくさん使わなくても、これだけ幸せな気持ちになれるんだよな……。俺には、春香と凱央が傍にいてくれるのが一番の贅沢だ)
たまには贅沢な食事もする。ただ、それの大半はお祝い事だったりするのだ。
(価値観に大きなズレがないって、本当に大切だよな。この前、春香が真剣な顔で相談してきたのも笑えたし)
帰宅した雄太に春香が真面目な顔で訊ねたのだ。
「雄太くん……。私、買いたい物があるの」
「え? 何?」
あまりにも真剣だからどんなに高い買い物なのだろうかと思った雄太に春香はボソッと呟いた。
「ティープレス」
「へ? それって相談しなきゃいけないぐらい高いの?」
「……五千円」
もちろん反対する理由もなく、春香は新しいティープレスを買って、ニコニコと笑っていた。
そんな春香を見て、雄太は幸せを噛み締めていた。




