56話
「ん? もう買ってあるのか?」
「締め切りに間に合わなかったら困るって思って、先に買っておいたんです」
春香の持つ馬券を見て、男性は満面の笑みを浮かべた。
「嬢ちゃん、なかなか良い見る目してるな。俺も、それは買いだと思うぞ。どうする? どうせならゴール板の前で見るか? まだ4レースだし、そんなに人は多くないだろうからゴール板前で見られると思うぞ」
「ゴールする所で見たいですっ‼」
春香が目を輝かせて言うと、男性はゴール前への行き方を教え、馬券売場へ向かって行った。
(世の中には、こんなに良い人も居るんだ……)
男性を見送ると、春香はゴール板前へと急いだ。
(鷹羽さんがゴールする所を少しでも近くで見たいもん)
そう思いながら行ったゴール前は、それなりに人が多く居て、何度もゴール板を確認しながら向かった。
ようやく辿り着き、目の前に広がる馬場に感動する。
(うわぁ……)
「お、嬢ちゃん。居た居た」
声に気付き振り向くと、男性は スルスルと慣れた感じで人混みを抜け 春香の隣に立った。
「どうだ? デッケェだろ?」
「はい。凄く広くてビックリしました」
うんうんと男性は頷き、指を差す。
「4レースはダートだから、あっちのコースを走って来るんだぞ」
「芝生の方じゃなくて、砂の方ですね?」
「芝生じゃなくて芝。砂の方はダートって言うんだ」
男性が教えてくれていると目の前を馬が歩いていた。
「え? 馬だぁ〜」
「お、本馬場入場して来たな」
コースに入り、ゴール板の方向へ馬が駆けて行く。
(あ……鷹羽さん……)
雄太の乗った馬もダート上を駆けて行く。
真剣な顔を見ると春香の胸はドキドキが止まらなくなる。
(やっぱり格好良い……)
「これからスタート地点まで行くんだ。で、4レースはダートの1200mだから、スタートはあっちの奥だぞ」
春香は、男性が指差す方 左の奥の方に視線を移すが、遠くてはっきりと見えなかった。
「あんなに遠くから走って来るんですね」
「そうだ。発走前になったらデケェあのオーロラビジョンに映るから安心しな。よく見ておくんだぜ」
「はい」
「良い返事だ。ほら、映ったぞ」
春香が、オーロラビジョンを見ると何度か雄太の姿が映った。
「1200mは、あっという間だからな。しっかり見とくんだぜ?」
〘阪神競馬場第4レース 4歳400万以下 ダートの1200m …〙
放送が始まるが、春香はオーロラビジョンに集中していてロクに聞こえてなかった。
(鷹羽さん、頑張ってください……)
春香は、何度も呪文のように繰り返し雄太の勝利を祈った。
ガシャン
金属音がしてゲートが開く。
雄太は 少しずつ。だが、確実に順位を上げて行った。
最終コーナーを曲がった時点で二着。
(頑張ってっ‼ 後……後、少しっ‼)
ドドドドドッ‼
地響きのような音が響いて来たと思ったら、あっという間に馬が駆けて来てゴール板を過ぎて行った。
ゴール直前一着の馬に並びかけたが、雄太は二着だった。
(あぁ……二着……)
「ん~。惜しいな。良い感じだったんだがな。一着の馬は人気薄だったし、配当は良いな」
男性は、ガックリと項垂れる春香の肩にポンと手を乗せた。
「残念だったな、嬢ちゃん。けど、目の付け所は良いぜ。今回一着になった馬は14番人気だったんだ。荒れただけだ」
「そう……ですか?」
泣きそうな目をして訊ねた春香に、男性はうんうんと頷く。
「気を取り直して次だ、次。俺は馬券買いに行くけど、嬢ちゃんはどうする? 人が増えて来てるから、ここで待ってるか?」
男性に言われて、春香が顔を上げて周りを見ると、確かに人が増えて来ていた。




