555話
12月23日(日曜日)
中山競馬場 9R 第35回有馬記念 G1 15:25発走 芝2500m
安田記念以降、勝ち星を獲られてないハーティだが、熱心なファンに支持され四番人気だった。
「鷹羽くん、頼んだよ」
「はい」
調教師の藤波とパドックで言葉を交わす。人気馬であるハーティの引退レースという事もあり、パドックも大勢の人が詰めかけていて、身動きが取れないといった感じだ。
前の事があったからか、係員が増員されている。それは、雄太だけでなく、藤波も気づいていた。だが、今はハーティが走る事だけに集中しなければと思っていた。
「調子は万全と言っても差し支えがないぐらいに仕上げてきた。もう、後は鷹羽くんに委ねるよ。まぁ、それはいつもの事なんだけどね」
「はい。精一杯の騎乗をします」
「ああ。後は任せた。ハーティ、頑張るんだぞ?」
藤波に足を上げてもらいハーティの背に跨る。それだけでも拍手や声援が起きる。
(う〜ん。多少、前向きになったように思えるんだけどな……)
ハーティは相変わらずといった感じだった。『走るぞ』という気合いが伝わってこないのだ。厩務員が引いてくれていても、仕方ないなぁ……というハーティの気持ちが伝わってくるような気がしていた。
『年齢的に落ち着いた』とは思えない覇気のなさに、レースのパターン以上に悩ましいと思っていた。
(ハーティ、やっぱり元気がないなぁ……)
テレビの前で、春香はホゥと息を吐いた。ハーティと会った後、何度か雄太にハーティの好きな果物を持っていってもらっていた。
その度に様子を訊いてみても、やはり全盛期のようにヤル気が満ち満ちている感じはしないと聞かされていた。
(レースに出られる調子にはなったのは確かなんだよね……。ハーティ、頑張ってね。私、あなたなら出来るって信じてるから。カームにも勝ったあなたの強さを信じてる……)
ベビーウォーカーでリビングを所狭しと走っている凱央が何度もテレビを見て、雄太が映る度にはしゃいでいる。
「パッパ〜」
「そうだよ。パパの応援しなきゃね」
「オゥ〜。パッパァ〜」
春香が準備したリボンのポンポンを奪い去った凱央は元気に振り回していた。
ハーティが本馬場入場をすると、競馬場を揺らすように大歓声が湧き上がる。四番人気の馬とは思えないぐらいだ。
手に競馬新聞を掲げている人々の期待が声援の大きさに表れているようだった。
「なぁハーティ、聞こえてるだろ? あれがお前に寄せられてる期待なんだぞ? 皆が、お前を応援してくれてるんだ。分かるか?」
返し馬を終えた雄太は、他の馬から少し離れて、ハーティに囁く。
ハーティはピコピコと耳を動かしていた。
「お前は強い。スピードもあるし、根性もある。お前は衰えてなんかないんだ。まだまだ走れるぐらいにお前は強い。勝てるんだぞ、ハーティ」
首を若干下げ気味にしているハーティにちゃんと聞こえるように話す。
(ハーティに……馬に人の言葉が通じるなんて馬鹿だって思われるかも知れない……。でも、馬は人の気持ちが通じるってのは俺はも思ってる。ハーティは頭の良い馬だ。気持ちだけじゃなく、ちゃんと俺の言う事が通じるんだって信じてる)
「ハーティ。お前の背中にいられるのも、これが最後だ。たった二回しか乗れなかったけど……。それでも、俺はお前の強さを分かってるつもりだ。負けるつらさを……悔しさを俺も知ってる。だけど、負けっぱなしじゃ余計悔しいよな? だからさ、勝とう。今日、お前の馬券を買わなかった人達に、一泡吹かせてやらないか?」
刻々と発走時刻が迫る。だが、雄太は諦めずハーティに話しかける。
(何でだろう……。ハーティがこのまま……衰えたとか堕ちたなんて言われたまま引退させたくないんだ……。勝たせたい……)
「ハーティ。俺はお前を信じてる。お前は強いんだ。勝てるんだ。お前の強さを見せつけてやろう」
高らかに響き渡るファンファーレを聞いたハーティの目に闘志が宿った気がした。




