551話
春香と凱央は、係の女性に案内をされて、関係者以外立ち入り禁止区域に足を踏み入れた。
「マザーバッグはお預かりしておきますね。後程、お声がけください」
「はい。ありがとうございます」
春香は深々と頭を下げる。凱央はキョロキョロと賑やかな観客席を見回していた。
(き……緊張して来ちゃった……)
婚約会見や結婚式の時とは比較にならないぐらいの大勢の人々がいる競馬場。何度も何度も深呼吸をする。
緊張はしていても、これからウィナーズサークルを越え、本馬場の芝を踏みしめるのだと思うと感慨深さに涙が溢れそうになる。
「なんだ、春香さん。緊張しとるのか?」
後ろから声をかけてきたのは慎一郎だった。
「あ、お義父さん。おめでとうございます」
「ああ、ホッとしたよ。緊張なんぞせんで良いんだぞ?」
「は……はい」
そうは言われても、慎一郎と話しているだけでも、かなりの観客が慎一郎の隣に立っている春香と凱央に視線を投げかけている。
「まぁ、無理と言えば無理か。もうすぐ雄太がくる。少し話せば落ち着くだろう」
「そうですね」
春香が緊張した顔で笑うと慎一郎が両手を差し出した。
「凱央、ジィジにくるか?」
慎一郎が両手を差し出すと、凱央は嬉しそうに笑うと大人しく抱っこをされた。
慎一郎が手を挙げて観客席の声援に答えると凱央も手を振り始めた。その姿を見た観客席からパチパチと拍手がおき、『可愛い〜』と声援が飛んだ。
(と……凱央の度胸が……凄いんだけど……)
「凱央……お前……」
「あ、雄太くん」
「何で、こんなに多くの人がいるのに、泣きもしないで平気でいられるんだ?」
後検量を終えて顔を洗ってきた雄太が苦笑いを浮かべている。
「やっぱり雄太くんの子だね。堂々としてるよ」
「そうか?」
ニコニコと手を振っている凱央を抱いた慎一郎が春香のほうへと歩いてくる。
「中々に良い度胸しとるな。将来は大物になるぞ」
「そんな気がするよ……」
「私より度胸あります……」
慎一郎の腕に抱かれていた凱央は春香に手を差し出して、春香の腕に抱かれた。
慎一郎と雄太は先にウィナーズサークルへ入った。雄太も慎一郎もキリッとして仕事モードの顔をする。春香は惚れ惚れとしながら見詰めていた。
(本当、格好良い……。ここに居られる事が幸せ過ぎて泣きそう……)
大河内が馬主席に招待の申し出があった後、雄太と慎一郎に相談をしたら驚きながらも受け入れてくれた。
「せっかく招待してくださったんだ。儂はかまわんぞ。凱央も馬主席なら危なくないからな。春香さんも、ゆっくり見られるだろうし」
雄太も久し振りに春香にG1を見て欲しかったのもあり、快くOKしてくれた。
(せっかくだし、一緒に口取り写真に納まりたいよな)
雄太がそう思っていた事を春香は知らない。
写真撮影をする準備が整い、凱央を抱いた春香はドキドキしながら、本馬場のほうへ向かった。
(ここが……雄太くんの戦場……)
感動と恐れ多いという気持ちが胸に広がり、一礼をして芝の上へ歩を進めた。慎一郎や馬主の方々と並び写真に納まる。
(嬉しいな……。本当に嬉しい……)
馬から下りた雄太に凱央が両手を伸ばした。
「パッパ〜。パッパ〜」
「ん? よし、凱央おいで」
雄太が凱央を抱き上げると、また観客席から声援と拍手が起きる。
各社のカメラマンがシャッターをきる音が響く。
「鷹羽さん、ご家族での写真をお願い出来ますかぁ〜」
何度も顔を合わせた事があるカメラマンが声をかけてきた。
「春香、せっかくだし撮ってもらおう」
「うん」
凱央を抱いた雄太の隣に春香が並び記念写真を撮ってもらった。
「春香。俺が夢を叶える時に俺の隣にいてくれてありがとう」
「雄太くん……。うん。こんな素敵な経験させてくれてありがとう」
見つめ合い話す様子を見ていた観客から、またパチパチと拍手がわいた。
批判する人々もいるが、雄太ファンが笑顔で受け入れてくれた事が何より嬉しい春香だった。




