536話
京都競馬場の調整ルームで、雄太はウキウキと純也と梅野に凱央が歩けた事を報告していた。
「そっかぁ〜。もう歩けるようになったんだなぁ〜」
「ほんの50センチもない距離でしたけど、メチャクチャ嬉しかったですっ‼」
雄太は拳を握り締めながら力説する。
「子供の成長ってスゲェな。この前、ハイハイがぁ〜って言ってたのにさ」
「だよな。俺、久し振りに会う親戚とかに『おっきくなったわね〜』なんて言われてたのを、あんまり気にしてなかったけど、自分の子供だとマジ日々成長って思うんだ」
「人見知りは、マジどうしようかって焦ったからなぁ〜」
純也は小倉で泣かれた時の事をよく覚えていて、会うたびに泣かれはしないかとビクついていたのだ。
「と……凱央。ほら、凱央の好きなお馬さんだぞ……。えっと……泣かないでくれよな……?」
雄太に教えてもらい買ってきたタオル生地の馬のぬいぐるみを両手に持ち、一生懸命凱央のご機嫌をとっていたのは記憶に新しい。
「俺だって、しばらくの間ヤバかったんだから、滅多に見ないソルに会ったら泣くって」
「まぁな。凱央が毎回泣くとなったら、俺雄太ん家に行けねぇって真剣に考えたんだぜ?」
純也はピンクと水色のぬいぐるみを持って、必死に『怖くないお兄さん』アピールをしていたが、その頃には人見知り期は終わっていて、それを雄太が言い忘れていたのだ。
凱央に抱っこをせがまれた純也の嬉しそうな顔は忘れられない。
「その頃の純粋な気持ちを忘れていくのが大人になるって事なんだねぇ〜」
「へ?」
意味ありげな事を言う梅野を雄太がマジマジと見る。その梅野の口を、純也が手で塞いだ。
「梅野さんっ‼ 言わないって約束したじゃないっすかぁ〜っ‼」
大声で叫んだものの、梅野は肝心な事は何も言っていなかったと気づき、純也はフリーズした。
「……お前……。何したんだよ……?」
「な……何もしてねぇっ‼ 俺は無実だっ‼」
ブンブンと首を横に振りながら純也は叫ぶが、梅野の顔はニマニマとしていて、何かしらの事があったのだと雄太は察した。
「ま、良いけど。で、な。凱央が『ンパ』って言うんだよ。それが『パパって言う感じに近いね』って春香が言うんだよな」
「パパが先? ママじゃねぇの? 春さんとずっと一緒にいるんだし」
「俺もそう思ってたんだよ。でもな、春香が俺の映像とか見せて『パパだよ』ってしょっちゅう言ってたから、耳に残って覚えたのが『パパ』なんじゃないかって」
純也は話題が変わったのにホッと息を吐き、梅野から手を離して、布団を背もたれにして座り込んだ。
「あ〜。パパって聞くのが多いからパパが先かぁ〜。どんだけ、春香さん『パパ』連発してるんだろなぁ〜」
「先にママって言って欲しくないんすかね?」
「春香さん、あんま気にしてなさそうじゃないかぁ〜? それか、パパが一番って思って欲しいとかぁ〜?」
何事もなかったかのように話す梅野に、雄太はチラリと視線を移した。
「でな、『格好良いって思って。付き合ってください』って言われて、舞い上がったら、その女の子が十五歳で……」
「うわぁぁぁぁぁぁっ‼」
唐突に暴露を始めた梅野に、純也は飛びつき、再び口を塞いだ。
「十五歳……。お前なぁ……」
「違うっ‼ まだ手は出してないっ‼」
「まだ? じゃあ、手を出す気満々だった訳か?」
「それも違うってっ‼ 確かに大人っぽい見た目の子だったけど、言葉づかいとかが幼いって思ったから飯にも行ってないっ‼」
雄太は深い溜め息を吐いてみせた。
「気をつけろよ? 淫行で捕まったらシャレになんないんだからな?」
「だから、何もしてねぇってのっ‼ 俺もそこまでバカじゃねぇってっ‼ 信じてくれよぉ……」
『彼女が欲しい年頃なのは分かるが、格好良いと言われてホイホイ手を出して捕まって騎手人生棒に振ったらバカもバカも大バカだぞ』
鈴掛がコンコンと説教をしたらしい。
わざとらしく溜め息を吐いた雄太だが、純也は大丈夫だと信じている事は内緒にしておこうと思った。




