534話
9月24日(月曜日)
(よし。今日はゆっくり家族との時間を過ごすぞ)
雄太はリビングのカレンダーを確認して、小さくガッツポーズをした。G1シリーズ前の取材や撮影は済んでいる。直前の取材はまだだ。
(たまにはのんびりしないと、要らないストレスがかかるからな)
「ねぇ、雄太くん」
「ん? どうかしたか?」
春香の真面目な声に、何事かと振り向いた。
「あのね。7日はカームと京都大賞典に出るでしょ?」
「ああ」
雄太が『勝てたらデートしたい』と春香に告げた思い出の京都大賞典が来週末に迫っていた。
「我が儘だって思うんだけど……。カームに会えないかな?」
「そろそろ言うんじゃないかって思ってた」
「え?」
カームはリフレッシュする為に放牧に出ていたのだ。今は帰厩している。
しばらく会ってないからと、春香が考えているのは、雄太には手に取るように分かっていた。
「静川調教師に許可もらってる。今日、会いに行こう」
「え? え?」
自分が言い出すと分かっていたからと、事前に許可をもらってくれていた事に驚き目が真ん丸になる。
「カーム喜ぶぞ。あいつ、春香が大好きだからな」
「ありがとう、雄太くん」
雄太は抱きついて喜ぶ春香を受け止めたが、ほんの少しカームにヤキモチを焼いた。
ベビーカーを押しながらトレセン前の坂道を登る。ウキウキした春香とご機嫌な凱央を見て、雄太は嬉しくなる。
(馬好きな妻と馬好きな息子……。最高だな)
厩舎につき、当番の厩務員に挨拶をする。
「こんにちは。これ、良かったら召し上がってください」
「ありがたくいただきます」
差し入れを手渡し、馬房に向かうと、声をかける前からカームは顔を出して外を眺めていた。
「カーム」
雄太が声をかけると、ピョコっと耳を動かして顔を向ける。恐らく春香の姿が見えたのだろう。前掻きを始め、首を大きく振っている。
「……お前、本当に分かりやすい奴だなぁ……」
相変わらずなカームに雄太は苦笑いを浮かべる。
「カーム、元気そうだね」
「ああ。凱央見ててやるから」
「うん」
春香が頷いて近づき手を出すと、カームは自ら鼻面を寄せてくる。
「久し振りだね、カーム」
鼻面を撫でてやると、もっと撫でろと言わんばかりに顔を押しつけている。
「俺、噂には聞いてたけど、これがカームの大型犬モードなんですねぇ〜」
タイミング悪く、春香がカームに会うところを見た事がなかった当番厩務員がクックッと笑いながら見ている。
「本当に……。俺そっちのけですよ」
「ですねぇ〜」
雄太はジャンパーのポケットからカメラを出して、写真を撮っていた。
すると、凱央がベビーカーが揺れるほどに体を揺らして両手を伸ばして声を上げ始める。
「ンダァ〜バゥ〜」
「ん? もっと近くで見たいのか?」
雄太はカメラをポケットにしまい、凱央を抱き上げカームから届かない場所まで連れていく。
カームは凱央のほうを見て、耳をピョコピョコと動かしていた。
(耳絞ってないから大丈夫そうだけど……)
「カーム、凱央が触っても怒らないでね?」
「え?」
「カームなら大丈夫だよ。ね? カーム」
雄太が凱央を見ると目をキラキラさせてカームを見ていた。
「凱央、乱暴にしちゃ駄目だよ? そっとそっと優しくナデナデだよ?」
「アバァ〜」
雄太がゆっくりとカームに近づき、春香が凱央の手を持って、カームの顔を撫でさせる。
「凱央、カームだぞ。パパの大事な相棒だ」
「アゥ〜」
カームは嫌がる事なく、ジッとしていてくれている。雄太はチラチラとカームの耳を見ていたが、絞る事なく優しい目をしていた。
「カーム、ありがとう。凱央に撫でさせてくれて」
春香が両手を広げると、カームは首を下げて春香の肩に首を預けるようにする。まるで、恋人同士が抱き合っているかのような姿だった。
雄太は、またカメラを取り出し、シャッターをきった。
(本当、妬けるよ)
雄太は苦笑いを浮かべるしかなかった。




