530話
9月15日(土曜日)
凱央をおんぶしながら家事を終わらせた春香は、一息つこうと冷蔵庫からアイスティーを取り出しコップに注いだ。
(まだまだ暑い日が続きそう……。雄太くん、中京は暑いって言ってたもんなぁ……。もうレース始まってるよね。熱中症とかに気をつけて頑張って)
馬場内は直射日光を遮る日陰がない。レースはほんの数分だが、体への負担はかなりのものだろう。インナーの上にプロテクターを着用して、更に勝負服を着なければならないのだから。
「ウ〜ウ〜ダァ」
「ん? あ、はいはい」
室内はエアコンを点けて、シーリングファンを回しているが、おんぶをしていると暑いのだろう。凱央が春香の背を押して『おろして』とアピールをする。
おぶい紐を解いてベビーウォーカーに乗せ、ベビーマグを持たせるとンクンクとお茶を飲んでいる。満足をした凱央は、両足で床を蹴りアチコチ移動し始めた。
(本当、真剣な顔をしてる時は雄太くんそっくり)
雄太の幼児期の写真は理保が見せてくれた。笑った顔などは、多くの人が言うように春香に似ているが、真剣な顔をしている時や横顔は雄太に似ていると思った。
昼食を食べてから、凱央は大きな欠伸をして、目をクシクシし始めた。
「眠くなっちゃった? パパのレースまでお昼寝しようか?」
「ン……」
抱っこをして寝かしつけをしていると、大きくなったなぁと思う。検診では身長も体重も標準だと言われたのだが、やはり産まれた時からすれば、充分重くなっている。
春香が凱央をベビーベッドに寝かせて、寝顔を見詰めている時、インターホンが鳴った。画面を見ると花束を抱えた女性が映った。
(あれ? この女性駅前の花屋さんの……)
見覚えのある花屋の女性店員がにこやかに笑っていた。
春香が受け取りに出ると、女性店員はペコリと頭を下げた。
「鷹羽雄太様より、奥様の春香様にバースデープレゼントです。お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
いつ雄太が花屋に行ってくれたのだろうと思うと胸が熱くなる。
(ここのところ忙しくしてたのに……)
見た事がないピンクのバラの花束を抱き締めながら、リビングに戻り花束をテーブルに置き、階段下の物置から花瓶を取り出した。
花瓶に花を生けて、テーブルの真ん中に置く。
(雄太くん、ありがとう。こんなに綺麗な花を……。このバラは何て名前なんだろう?)
凱央が寝ているのを確認して、パソコンに向かった。『ピンクのバラ』と検索ワードを入力すると美しいバラがたくさんヒットした。
(えっと……これじゃないし……これでもない……。あ……もしかして、これかな?)
テーブルの上を見て、パソコンの画面を見比べる。
(うん、これだ。エーデルシュタイン。花言葉は……宝石……? え? 私に宝石……?)
ふと、花束の中にカードが入っていたのを思い出した。
『春香へ
この花束が届いたらコレクションルームを見てな』
コレクションルームに入ると、雄太のサイン色紙のところに手紙が置いてあった。
手に取り封を切る。便箋を取り出すと、見慣れた雄太の文字。
『大好きな大好きな春香へ
当日にはおめでとうが言えないから手紙でな。
いつも笑顔で癒してくれてありがとう。
いっぱいマッサージしてくれてありがとう。
不安にさせたりする事もあるけど、それでも一緒にいてくれてありがとう。
いつも、落馬とかの心配させたりしてるけど、それでも一緒にいてくれてありがとう。
俺と出会ってくれてありがとう。
俺の隣にいてくれてありがとう。
いつも、キラキラ輝いていてくれてありがとう。
HappyBirthday 春香
雄太』
文字が歪む。頬に涙が伝う。
(ありがとう……。ありがとう、雄太くん……。私、雄太くんの隣にいられて良かったよ。これからもよろしくね)
雄太の気持ちが胸いっぱいに広がった春香は、流れる涙をとめる事が出来なかった。




