52話
「んじゃ、俺は部屋に戻って寝る。お前らも程々で寝ろよ? 寝られなくても、目を閉じてりゃその内寝られるからな」
鈴掛は立ち上がり、雄太と純也の頭をグリグリと撫でた。
「「はい」」
雄太と純也が揃って返事をすると、梅野も立ち上がった。
「んじゃ、俺もぉ〜。また明日なぁ~」
手を振りながら、鈴掛に続いて梅野も部屋を出て行った。
(もしかして、鈴掛さんと梅野さん、俺達が緊張してるかもって、心配してくれて来てくれた……?)
デビュー戦に出る新人は、調整ルームに入っただけで緊張する者もいると聞いた事があった。
中には、緊張のあまり吐いてしまう者もいると言う。
(ソルみたいに、全国大会とか経験してても緊張するんだもんな)
春香にレースを見てもらう事は出来なくなったと知ったが、せめてダイジェストで見てもらう為に一着にならなければならないと思うと、少し緊張感が高まった気がした。
だが、部屋の隅に置きっぱなしにしたノートを手にすると、スッと落ち着いた。
(あれ……? 何だ、今の……?)
春香にプレゼントすると約束したサインの練習をしていたノートをジッと見詰める。
(市村さんの事を思い出したら気持ちが楽になった……? まさかな……)
雄太はノートを鞄にしまうと、純也の隣に布団を敷いた。
「いよいよだなっ‼」
純也は、枕に頭を勢い良くボンと乗せた。
「そうだな」
布団を敷き終わり、雄太は電気を消した。
雄太が布団の中に入ると、どちらからともなく手を出して拳を合わせた。
「全力で行こうな、雄太。おやすみ」
「ああ。全力で行かないと先輩達には勝てないからな。おやすみ」
競馬学校では優秀な成績を修めた二人だが、圧倒的に経験値が足りない。
パドックでも何が起こるか分からない。
ゲート内でも、ゲートが開くまでも同じ。
走り始めたら、どんなアクシデントがあるか誰にも分からない。
そんな時に冷静でいられるか。
どんな対処が出来るか。
走り切るまで、程よい緊張感が必要になる。
(ようやく、俺の夢の第一歩を踏み出すんだ……。やっと騎手になれて、デビュー戦なんだ……)
目を閉じると、あの雪の日、デビュー戦どころか、馬にすら乗れなくなるかと絶望したのを思い出す。
(市村さん……)
子供のように指切りをした春香の小指の温もり。
優しい笑顔。
(俺、精一杯頑張ります……。市村さん……)
心が軽くなる気がしながら雄太は 眠りについた。




