524話
木曜日、取材があり少し遅くなった雄太が家に戻ると、凱央はベビーウォーカーでトテトテと玄関まで出迎えにきた。
「え? 何か……昨日より移動速度が速くなってないか……?」
「そう思う? 私もビックリしたの」
「仰向けハイハイの時に足に力を入れてたよな? って事は、足の力がパワーアップしてるんだろな……」
「うん」
凱央は両手を上げながら雄太に近づいた。
「ンバァ〜オゥオ〜」
「ん? おかえりって言ってくれてんのか? パパ、お風呂入ってくるから待ってろよ?」
そう言って歩き出そうとした雄太のジャージのズボンを凱央はキュッと握った。
「アゥアゥ〜ダゥ〜」
「ん? どうした?」
泣きそうな顔をした凱央を見て、雄太は膝をついて頭を撫でた。
「ウバァ〜ウ〜」
「は……春香ぁ……。凱央は何が言いたいんだろな……?」
「……もしかして、一緒にお風呂入りたい……とか?」
「え? 風呂……?」
ベビーバスでは入浴させた事はあったが、一緒に入る事がなかった雄太は焦った。
「だ……大丈夫かな? 凱央、動くし……。体洗ってたらツルンってならないか?」
「ん〜。どうしようか……?」
二人で廊下にしゃがみ込み顔を見合わせていると、凱央はしっかりと雄太のシャツを握る。
「そうだ。私も一緒に入るよ。雄太くんが洗ってる間、私が凱央を見るね。それなら大丈夫だと思う」
「そうしてくれると嬉しい……。俺一人じゃ不安だしさ」
ホッと息を吐いた雄太は凱央を抱き上げた。
「よしよし、パパと一緒に風呂に入ろうな」
「ウキャウ〜ナァ〜」
嬉しそうに笑う凱央を連れて雄太は風呂に向かい、春香は着替えを取りに行った。
「凱央、気持ち良いか?」
「ダァ〜ンバァ〜」
体を洗ってもらい、雄太に抱っこをされながら湯船の中で凱央は楽しそうに玩具で遊んでいた。
「そら、アヒルちゃんだぞぉ〜」
「ウキャウ〜」
プカプカと浮かぶアヒルや金魚の玩具を手で掴もうとパシャパシャしていた。
春香はゆっくりと髪と体を洗っていた。雄太がいるから安心しているからだろう。その表情は柔らかく見える。
(動きが激しくなった凱央を、ずっと一人で風呂に入れてたんだよな……。ゆっくりと髪や体を洗う事も少なかったかも知れない……)
「ん? どうかした?」
雄太の視線に気づき、髪を拭きながら春香が訊ねる。
「ん? あ〜。一緒に風呂入るのって久し振りだなって思ったんだ」
「そうだね〜。ここに引っ越してから、一緒に入ってないもんね」
髪をタオルでまとめ、春香も湯船に入る。
「ふぅ〜。気持ち良い」
「大きな風呂にして良かったな」
「うん。三人で入っても余裕あるもんね」
春香が金魚の玩具を凱央のほうに押してやると、凱央はキュッと掴みフリフリとしている。
「ウキャウ〜ダァ〜オォ〜」
「凱央。パパと一緒のお風呂は楽しいね〜」
何ヶ月振りかのゆっくりとしたバスタイムに春香も満足をした。
雄太と一緒の風呂が楽し過ぎたのか、夕飯を食べながら凱央はウトウトとしていた。
「あ〜。もう寝そうだね。ほら、凱央。お茶飲んで」
「ンクゥ……」
まだ食べきっていない春香の為に、雄太はベビーベッドをダイニングまで持ってきた。
「ありがとう。凱央、ねんねしようね」
「ン……」
タオルで口元を拭ってもらいベビーベッドに寝かせると、凱央は直ぐに寝息を立てて眠った。
「本当にパパとのお風呂が楽しかったんだね」
「ああ。なぁ、春香」
「なぁに?」
春香が椅子に座ると、雄太はそっと手を握った。
「いつもって訳にはいかないけど、たまには家族で風呂入ろう」
「え?」
「動きが激しくなった凱央を一人で風呂入れるのは大変だろ?」
「雄太くん……」
泡で滑らないように体を洗うだけでも大変だと実感したのだ。
「調整ルームに入ったりする時以外で遅くならない日にさ。そしたら、春香ものんびり湯に浸かれるだろ?」
「ありがとう、雄太くん」
この日を境に、楽しみが増えた雄太だった。




