523話
9月3日(月曜日)
小倉遠征を無事に終えた雄太は、コーヒーの良い香りで目を覚ました。
ググッと体を伸ばし、春香のベッドから降りてカーテンを開けた。まだまだ夏だと自己主張している眩しい陽射し目を細めた。
(ようやく遠征が終わったんだぁ……)
ホッと息を吐いて、ドアを開けると気づいた春香が振り返り笑ってくれる。
「おはよう、雄太くん」
「春香、おはよう。良い匂いだな」
「うん。あ、サンドイッチこれから切るね」
春香は濃いめに淹れたコーヒーを大きな氷の入ったグラスに注いでいた。
「ああ。顔洗ってくるよ」
雄太がドアを開けて廊下に出ようとすると、ベビーウォーカーに乗った凱央がトテトテとついてこようとしていた。
「凱央。パパ顔洗ってくるから待ってろよ?」
「ンニィ〜パァウ〜」
「へ?」
今まで聞いた事がない喃語に立ち止まる。
「何か……聞いた事がない喃語だな? 言葉増えた?」
「うん。何か急に増えてきたの。凱央なりに一生懸命話してるみたい」
雄太は凱央の前に膝をついて、頭を撫でた。
「ちょっと待っててくれよな。顔洗ってご飯食べた後で、遊んでやるからな?」
「エゥオ〜。ンニャ〜」
両手を精一杯上げて、何やら話す凱央の乗ったベビーウォーカーを近寄った春香が手で押さえる。
「凱央。パパが戻ってくるまで、ママとお馬さんで遊ぼうね〜」
「ンバァ〜アゥ〜オォ〜」
凱央は足を上手く使って方向転換する。
(足の力ついたんだなぁ〜。直接初めて歩く凱央を見られたらなぁ〜)
そんな事を考えながら、雄太は洗面所へ向かった。
「おぉ〜。マジで立ったな」
「ね。立ちそうって感じが何度か続いてたからビデオカメラ構えてる時が多かったよ〜」
「順調に成長してるんだよなぁ〜」
寝返りを覚え、ズリ這いを覚え、ついにはつかまり立ちを覚えた凱央は、リビングでコロンコロンと転がったりしていた。
転がっている時も、時折雄太のほうを見ている。
「パパがいるの確認してるんだね」
「そうだな。凱央、週末以外は家にいるからな」
寝転がりぬいぐるみを振り回しながら凱央はご機嫌だった。
「そう言えば、ベビーウォーカーの座面高くなった?」
「少しだけね。背が伸びたみたいだから」
「そっか。抱っこした時も、重くなったなって思ったんだよな」
「お義父さんも、お義母さんもそうおっしゃってたよ」
雄太の遠征中、人見知り期の凱央と会う事を躊躇していた慎一郎と理保だったが、春香が鷹羽の家に顔を見せる事で次第に慣れたと言っていた。
オカズのお裾分けと言う名目で訪ねてきてくれていると慎一郎と小倉で会った時に聞かされた。
(俺がいなくても、ちゃんと父さんと母さんと仲良くしててくれる……。春香は何で当たり前のように出来るんだろ……? 親の背を見て育った訳じゃない……。お義父さんとお義母さんの育て方だな)
直樹は大きな病院の次男。里美は一般家庭だと言っていた。それでも、しっかりしているのは、二人が真っ当に育ってきたからだろう。
(お義父さんとお義母さんの御両親にも感謝しよう)
その時、仰向けに寝転んでいた凱央が、その体勢のまま床を蹴りズリっと進んだ。
「え゙……」
「と……凱央?」
仰向けのズリ這いと言った感じの状態に雄太達の目が丸くなる。
「い……今の何だ……?」
「わ……分かんない……。私も、初めて見たよ……」
二人で凱央のほうを見ると、凱央はまたグイッと仰向けで進んだ。
「足で……床を蹴る……って感じか?」
「うん。そんな感じだね」
床に敷いたプレイマットが歪むぐらいの力が加わっていた。
「なぁ……。これ、何度も繰り返してたら、後頭部禿げないか……? 枕で擦れただけでも、毛が薄くなってたろ?」
「あ……。そう言えば……」
首を動かすようになった時、後頭部の髪が薄くなった時を思い出して、雄太は凱央を抱き上げ後頭部を見た。
「今は大丈夫だけど……」
「気になっちゃうね……」
更に凱央から目が離せないと思った二人だった。




