512話
藤森神社を後にした雄太達は、鈴掛のお薦めの和食屋へ向かった。
予約をしていた和室に通されると、春香は凱央のオムツを替えに席を立った。雄太は春香を見送った後、小さく息を吐く。
(フゥ……。ハーティの事で、春香には散々嫌な思いさせたし悩ませてしまったな……。今日のデートぐらいじゃ埋め合わせにならない……よな)
防犯対策は強化したが、調整ルームに入る時は気になってどうしようもなかった。
ガッツリと防犯カメラを設置し、センサーライトをつけたおかげでポストに手紙が入れられる事はほぼなくなった。ポストに近づき、センサーライトとカメラの録画ランプが点いた事で逃げ去る姿は何度も録画されていた。
(初夏だってのに、真冬みたいにパーカーのフードを深くかぶって、大きなマスクしてたら不審者丸出しだっての)
カメラに気づいても手紙を入れるヤツもいたが、春香は開封する事もなく雄太に手渡し、雄太は藤波に渡した。
(もう関わってきて欲しくない……。ハーティが好きなのは分かったよ。けど、そのハーティの馬主にも悲しい思いさせてるんだぞ?)
夢中になる事は悪いとは思わない。むしろ良い事だと思っている。だからこそ、他人に迷惑をかけてはいけないだろうと何度も思った。
「おまたせ」
部屋に戻ってきた春香の笑顔を見て、またハーティの事を考えてしまっていた事を雄太は反省する。
(今日は考えないって決めたのに……。俺は駄目だな……)
「ここのオムツ替えベッドね、凄く使い勝手が良かったよ。さすが、良いお店だなぁ〜って思った」
「鈴掛さん、気遣いが行き届いた良い店だって言ってたからなぁ〜」
春香は店員が準備してくれていたベビーチェアに凱央を座らせる。
「あ、そうだ。鈴掛さんの事なんだけど、きっちり決着がついたってさ」
「そう。時間はかかったけど、鈴掛さんが納得出来る状態なったなら、それで良いね」
鈴掛の元妻は、現夫に話されては困るの一点張りだった。鈴掛を騙し受け取っていた約一千万円は少しずつ返すとは言ったが、信用出来る訳もなかった。
結局、元妻の親が代わりに払うと言う事で話がついたと鈴掛は言っていた。
『俺は、娘が可愛かったんだ。元嫁の所為で金しか目が向かなくなった娘を哀れだとは思う……。いつか、美代が自分の間違いに気づいたら、その時は……一緒に飯でも食う事にするよ。どんな子であっても俺の娘には違いないからな』
何年先になるかは分からないが、大人になれば分かってくれるだろうと話していた鈴掛は吹っ切れた顔をしていた。
「鈴掛さんにも、良い出会いがあると良いね」
「そうだな」
鈴掛はまだ三十代なのだから、良い出会いがあればと雄太も思った。
(騎手の妻は我慢の連続だって言う人も多い……。離婚率が高いとかは聞いてないけど……。って事は、やっぱり女性側が我慢してるんだろうか……?)
父親が騎手であっても、息子は騎手を選ばないと言う話も聞く。それだけ、特殊な職業なのだと思い、凱央に食事をさせている春香を見た。
競馬業界を知っている雄太でさえ、一般常識とはかけ離れていると思える世界に、全くといってもおかしくないぐらいに知識のなかった春香が自分の妻としてやっていてくれている。
(父さんも母さんも、春香の事を心配してくれてる……。ストレスは大丈夫なのかって……)
確かに気苦労はあるだろうと思う。生活リズムも一般的ではない。
それでも、早朝から笑顔で朝食を作り、仕事へ送り出してくれている事には感謝しかない。
「春香」
「なぁに?」
「俺が凱央に食べさせるから、春香食べなよ」
「うん。じゃあ、交代ね」
凱央用にと準備してもらった柔らかく煮たうどんや薄味の茶碗蒸しや野菜の煮物を小さくして凱央の口元に運ぶ。
「ンマァ」
「そうか。美味いか」
ニコニコと食べ進める凱央に目尻が下がる。春香も、美味しそうに食べている。
(遠征が始まったら、こうやって一緒に飯を食う事もなくなるからな。この時間も大切にしよう)
久し振りのデートは雄太に活力を与えるものになった。




