510話
6月10日の宝塚記念。
雄太は残念ながら八着だった。ハーティは二着。ハーティが雄太より先着したのに、またゴチャゴチャ言う輩が出たのだ。
ゴールし、雄太が他の馬達と戻ってきた時だった。観客席からヤジを飛ばされ、苦々しい思いが再び胸にわいた。
(ハーティが俺より先にゴールしたんだから良いだろうに……)
ハーティの鞍上は雄太の一年後輩の騎手だったのだが、その後輩に負けた不甲斐ない奴と嘲笑われたのだ。
同じく宝塚記念に騎乗していた鈴掛と梅野は怒りの表情を浮かべていたが、雄太が手で制した。
(雄太……)
(本当、しつこい奴等だなぁ……)
雄太が言い返さないから舐められているのだと思ったが、何か言っても変わらないと思って無視をすると決めた。
だが、カンカン場で藤波を見かけると苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
(まぁ、あれだけの大声でヤジってれば聞こえるよな。藤波調教師も大変だな)
雄太が他馬の邪魔にならない所で鞍を外している時もヤジは飛んでいた。
12Rに騎乗予定のない雄太は、後検量を終えると深い溜め息を吐いた。
(後輩に鞍上を盗られたとか……ダサいとか……。言いたいなら勝手に言っててくれ……。言うなら、競馬場で思いっきり言ってくれて良い……。手紙でとか送り付けないなら……。俺は、もう春香を悩ませたくないんだ。)
調整ルームに戻った雄太はザッと風呂に入って、気持ちを切り替え自宅へと戻った。
翌朝、目が覚めた雄太は、マッサージの途中で値落ちていた事に気づいた。
(あ、また春香のベッドで寝てた。春香の隣だと、本当に気持ち良く寝られるんだよな……)
隣には既に春香の姿はなく、少し開いたドアの向こうからほんのりと甘い香りがしていた。
ベッドから降りて、ドアを大きく開くと凱央をおんぶした春香は振り返りニッコリと笑った。
「雄太くん、おはよう」
「おはよう、春香。良い匂いだな」
「うん。今朝は、雄太くんが食べたいって言ってたフレンチトーストにしたの」
「やったぁ。顔洗ってくるよ」
雄太は洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗った。鏡に映った自分を見る。
(昨日の事はもう気にしないでおこう。せっかくのデートを台無しにしたくないからな)
今日はハーティの事は考えずにいようと決めた。
京都へ向かう車内で凱央はキャッキャと声を上げ大はしゃぎをしていた。
「お買い物の時よりはしゃいでるんだけど」
「買い物とは違うって分かるのか? まさか……なぁ」
凱央は、いつもと同じように後部座席のチャイルドシートに座っているのだが、何度もオシャブリが口から落ちるぐらいに笑っている。ホルダーをつけていなければ、何度床に落ちてしまっているか分からないぐらいだ。
雄太がバックミラーでチラリと凱央を見ると、両手と両足を思いっきりバタつかせていて上機嫌としか言いようがない様子だった。
「出かけるのが嬉しいってのもあるかもだけど、春香の楽しいってのが凱央にも伝わってるんじゃないか?」
「え? 私の?」
「ああ。買い物に行くのにテンション上がってたりしないだろ? きっと、ママが楽しそうってのが分かって喜んでんじゃないか?」
ようやく雄太とデートだと言う事で、春香は新しい服を買いに行ったのだ。爽やかな空を思わせる水色のパンチングレースのカットソー。オフホワイトのヒートカットのワイドパンツ。
ペアルックではないが、雄太もシャツを水色にし、ホワイトジーンズにした。
「そうなのかなぁ〜?」
「きっとそうだよ。俺も、今日の春香を見てるとテンションあがるし。デートに誘って良かったって思ってるぞ」
「えへへ。そう言ってもらえて嬉しいな」
ミラー越しではあるが、照れ笑いを浮かべる春香に癒された雄太は、心が軽くなるのを感じた。
(やっぱり、春香の笑顔は最強だ。もう断言する。俺の女を見る目は世界一だぞ。絶対間違ってない)
純也達が聞いたら一瞬フリーズした後、惚気やがってと大合唱が聞こえてくるような事を思った雄太だった。




