508話
まだ梅雨入りしていないよく晴れた日の午後。
芝生が青々とした庭にブルーシートを出して、春香は凱央を日光浴させていた。
「凱央、気持ち良いねぇ〜」
「アゥ〜」
バウンサーに乗った凱央はご機嫌で、両手をフリフリしていた。手にしたガラガラがシャラシャラと軽やかな音をたてる。爽やかな風が吹き抜けて、春香のポニーテールとリボンが揺れている。
(今年の梅雨は、どんな感じになるかな? 雨が降らないのも困るけど、降り過ぎると外に出るの大変になるよね。今の内に、凱央に外を楽しませてやらないとなぁ〜)
ウッドデッキには屋根はあるが、雨が降れば外気浴しか出来なくなる。なるべくなら、日光浴させてやりたいと思っていた。
「そろそろ、お茶飲もうか?」
「ニャウゥゥ」
「へ? ニャウ? ニャンコでもいるのかな?」
春香がベビーマグを差し出すと、凱央は喃語を口にする。そして、手渡されたマグを持ってコクコクと飲む。
周りを見渡すが、塀が高いから、いくら猫でも入ってこられないだろうなと思って少し笑ってしまった。
「最近、色んな言葉が出てくるようになったね。一生懸命お話してくれて嬉しいな」
「ダダァ……キャウ」
マグから口を離すと、口に残っていたお茶がタラタラと流れ出す。
春香は笑いながらタオルで凱央の口元を拭い、マグのキャップをする。
その時、車のエンジン音がして、シャッターの開く音が微かに聞こえた。
「あ、凱央。パパ帰ってきたよ」
「ウバァ、ダゥ」
車庫は庭と反対側にあるから、雄太の姿が見える訳じゃない。なのに、凱央は雄太がパパと言う事を理解しているのか、体を揺らし喜んでいるように見える。
ガタンガタンとバウンサーが揺れ、春香が押さえていると、リビングの窓が開き雄太が顔を覗かせた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「アバァ〜」
雄太は、ウッドデッキの隅に置いてある外履きを履いてブルーシートに近づいた。
「オゥ〜バァ〜」
「ん〜? おかえりって言ってくれてるのかぁ〜?」
「かもね」
雄太の顔を見ると、凱央が満面の笑みを浮かべる。
「凱央はパパ大好きだねぇ〜」
「ずっとパパ好きでいてくれると良いなぁ〜」
「大丈夫じゃない? パパは格好良いから」
格好良いは春香目線だろうとは思うが、やはり『格好良い父』でいたいと思う。
「雄太くん、凱央をちょっと見てて。今夜のサラダの野菜を収穫したいの」
「あぁ」
雄太はブルーシートに座り、凱央の相手をし始める。春香は、ウッドデッキに置いておいた収穫鋏と籠を手にして、プランターの野菜を獲っていく。
「あ、そうだ。夏の遠征な、大体が小倉になりそうだ」
「そうなんだ? 北海道はなし?」
「北海道も良いんだけどなぁ〜。今のところ、小倉滞在になりそうな感じだな」
「小倉かぁ〜。明太子美味しかったなぁ〜」
スクスクと成長したアスパラを獲り終えて、トマトの色合いをチェックする。
「後、うどんも美味いぞ」
「良いなぁ〜。私、おうどん好きだし、凱央も好きだよ」
「だな。まぁ、小倉に行くのは出走馬の関係で7月になってからっぽいんだよな」
胡瓜を手にした春香が雄太のほうに振り返る。少し笑った後、申し訳なさそうな顔になる。
「どうした?」
「えっと……ちょっとでも離ればなれにならないのが嬉しくって。でも、そう思うのは騎手の妻としてどうなのかなって思っちゃったの」
遠征が嫌だと言える訳がない。騎手である限り当たり前なのだ。
それでも、雄太と一緒にいたいのが本音である。
「良いよ。周りに誰もいない時は、さ」
「うん。気をつけるね」
誰かに聞かれると、雄太の女を見る目がないと言われかねない。
雄太の評判を落とす事は、春香には出来ないのだ。
(雄太くんを悪く言われるのが嫌なら、その原因になっちゃいけない。それでなくても、強引に結婚まで突っ走っちゃったんだし)
春香のおかげで雄太の評判が上がった事もあるとは、これっぽっちも思っていない春香だった。




