501話
鈴掛は、眉間の皺が固定しそうなぐらいに顔をしかめた。
デビューして数カ月しか経っていない新人達は、突然起きた想像もしなかった事態に青ざめ、控え室から恐る恐るパドックを見ていた。
(こんな事態の対処法なんて、競馬学校で教えてもらってないよな……? 教えてもらってたとしても、直ぐに動ける訳はないか……。何とか落ち着かせないと……)
新人達の事も気になるが、やはり『なぜ、このような事態になったのか』と言うのが一番頭に浮かぶ。
犯人の目的が何だったのか分からないが、嫌がらせの手紙の件があったからか、憶測で考えては駄目だと分かっていても、つい疑ってしまう。
(まさかハーティファンじゃないだろうな……? 雄太にダメージを与えようと狙ってやったのかだとしたら……許せんっ‼)
ふと思ってしまったら、その思考がとまらなくなる。
(ハーティ以外の馬はどうでも良いのかっ⁉ 雄太を傷つける為なら、他の騎手が怪我をしようがかまわないってのかよっ⁉)
鈴掛は怒鳴りたい気持ちをグッと抑えるが、握った拳がフルフルと震える。
(俺が怒鳴っても状況が悪化するだけだよな……。落ち着け……落ち着け……。落ちたヤツは……?)
落馬した騎手は大事がなかったのか、馬から離れると、自分の体に触れたり、足踏みをするような仕草をしていた。
暴れた馬を厩務員が必死になだめていた。引き綱をしっかり手にしながら、声をかけている。
(よく手を離さなかったな。手を離したりしてたら、マジで大惨事だったぞ)
落馬した騎手は屈伸をして頷くと、厩務員が落ち着かせた馬に騎乗した。
(怪我は……なさそうか……? 無理すんなよ……? んで、雄太は……?)
鈴掛は隊列が乱れに乱れた馬の中の雄太の姿を探した。まだ、落ち着かずにいる馬達の中で、しっかりと前を見ている雄太を見つけてホッと息を吐いた。
落ち着いた馬から本馬場のほうに向かって歩いていく。
(良かった……。何とかなったみたいだな。……とりあえず、逃げたヤツがどうなったか……だな)
馬も騎手も無事だったのは幸いだが、この後の事を考えると胃の辺りがキリキリと痛んだ。
(とりあえず、新人達を落ち着かせなきゃな。動揺したままだと騎乗に影響が出る……)
鈴掛は次のレースに出る若手から順に声をかけていった。
2Rは無事にレースは終了したが、雄太は2番人気だったが十二着に終わった。パドックで暴れたりしてしまった馬は精彩を欠いて配当は荒れた。
その次も雄太は着順は思わしくなく、普段冷静な雄太が手洗い場で頭から水をかぶっていた。
「雄太」
「鈴掛さん」
雄太はゴシゴシと頭と顔をタオルで拭い、小さく息を吐いた。
「大丈夫だな?」
「はい」
騎手を続けていれば、この先も同じような事があるかも知れない。覚悟を決めなくてはいけないと雄太は胸に刻んだ。
大きく息を吸い込んで、着ていた勝負服を脱ぎ歩き出す背中を見て、鈴掛は少し安心した。
(もう大丈夫かな。本当、凄いヤツだよ。さて、俺も行くか。また、雄太の背中を見るのは嫌だからな)
まさか、こんな事がG1のある日に起きるとまで思ってなかった。応援幕のように嫌がらせぐらいならあるとは思っていたが、ここまでの事が起きるとは想像が出来ずにいた。
騎手控え室で、雄太は何度も何度も深呼吸する。
(大丈夫だ。落ち着け、俺。いつも通りにすれば良い。人間が何をしようと馬には関係はない。俺は、ハーティの能力を引き出せるように、精一杯の騎乗するだけだ)
先程の騒ぎを起こした二人組が、どう言う意図を持って騒ぎを起こしたかは分かってはいない。
今の雄太にとって大切なのは、次のレースに集中する事。
ハーティグロウと言う能力のある馬の鞍上を任されたのだから、馬主と調教師と世話をしてくれている厩務員達の期待に応える。
それが騎手の仕事なのだと、雄太はキッと唇を結び、号令がかかるのを待っていた。




