499話
雄太は週末の安田記念に向けての取材を受けていた。
「鷹羽さん、安田記念の意気込みは?」
大勢の取材陣にマイクを向けられ、質問に応えるたびにカメラのシャッター音が響き渡る。
「そうですね。今まで何度も対戦をして来たハーティグロウに騎乗出来る事は光栄です。ぜひにとおっしゃってくださった馬主さんや調教師に感謝しています。ハーティは素晴らしい馬ですから、良い走りを見せられるように精一杯頑張ります」
笑顔の雄太の写真と共に『ハーティグロウを絶賛』などと言う記事が誌面を飾った。
雄太の言葉を分かってくれた人もいるのか、罵倒する手紙は多少減った。だが、相変わらず雄太を批判するハーティのファンはいた。
(全員が全員、分かってくれるなんて思っちゃいない……。でも……一人でも、分かってくれる人が増えてくれるならそれで充分だ)
そう思っているのは春香も同じだった。
(怖い気持ちが完全になくなった訳じゃない……。でも、私は強くならなくちゃいけないんだ。騎手鷹羽雄太の妻として、しっかり前を向いて立ってなきゃ)
人は簡単に悪意を向けるのだ。誰に何を言われても、自分が正しいとしか思っていない。
いつか分かる人もいるかも知れないが、大半は他人の所為にして、自分を正当化して生きていく。
それが悲しい現実なのだ。
5月11日(金曜日)
「雄太くん。私、信じてるから」
「春香……」
「気をつけてね。精一杯頑張って、無事に帰ってきてね」
「ありがとう。無事を祈って待っててくれ」
土日共に東京で騎乗する鈴掛は、もう出かけたので、しっかり抱き合いキスを交わす。
雄太は土曜日は京都、日曜日は東京での騎乗だ。日曜日の帰りは遅くなるとは思うが、安田記念が終わればもう大丈夫だとは思う。
インターホンが鳴り、迎えのタクシーに乗り、雄太は京都競馬場へ向かった。
雄太が出かけた後、春香はコレクションルームに置いていた箱をエレベーターに運び込んでいた。
(凱央が寝てる間に、出来るだけやっちゃおう)
小さめの箱に入っているのは、独身時代から毎週買っていた競馬新聞だ。どうしても捨てる事が出来ず、前に住んでいた借家にも運び込み、新居を構えてからも大切に保管していた。
今回の事で、春香はハーティグロウと言う馬が気になったのだ。どんな馬で、どれだけの成績をしているのだろうと。
(調べたくても、競馬新聞の入ってる箱を開けて調べるのは、効率が悪過ぎるもんね。スキャナーで取り込んでパソコンで見られるようにしておけば、雄太くんがいつどこの競馬場でどんな馬に乗ってたのかも分かりやすいし)
雄太と出会った1987年から、今週までの競馬新聞を取り込むとして、どれだけ時間がかかるか分からない。
(年度別にまとめておけば、雄太くんが調べたい馬がいても分かりやすいよね)
そうは思うが、今一番知りたいのは日曜日に雄太が乗るハーティの事。
万が一を考えて、カームのように厩舎に会いにいけてない。
(馬に罪はないからハーティに会っても仕方がない……。人がどう思っていてもハーティには関係ないもん)
エレベーターから降ろした箱を順番にリビングに運び込む。
運び終えて、ベビーベッドを覗くと凱央はまだスヤスヤと眠っていた。
(よし。凱央が起きるまで、ちょっとハーティについて調べよう)
雄太がカームと一緒に走った事があると言っていたから、カームが走ったレースの競馬新聞を箱から取り出した。
「ハーティグロウ……ハーティグロウ……あった。カームと同い年なんだ。カームより順位が上だったり、後だったりしてる……。G1に出られるぐらいなんだから強い子なんだなぁ……」
春香はマジマジと競馬新聞を眺めながら呟いた。
「こんな事になってなかったら……一度ぐらい会いたかったな……。雄太くんの妻である私が会いに行ったら、ファンのかたは嫌かも知れないけど……」
馬が好きであっても、やはりファンがいる馬は気を使わなきゃと思った春香だった。




