493話
5月3日(木曜日)
いつもより一日早く調整ルームに入るべく、雄太と鈴掛は朝食を済ませた後、迎えのタクシーを待っていた。
「忘れ物はない?」
「大丈夫だよ。一日多く留守にするけど、気をつけてな? 淋しくなったら、東雲に帰ってても良いから」
相変わらず心配性な雄太に、春香はニッコリと微笑む。
「ありがとう。大丈夫だから安心してね」
「ああ」
鈴掛は、雄太がチラリと見た理由を察し、先に外に出た。
雄太は、ドアが閉まる音を聞いて春香をギュッと抱き締める。
「頑張ってくるからな?」
「うん。応援してるからね。気をつけて」
「ああ」
背伸びをしていってらっしゃいのキスをおくる春香と日曜日の夜まで会えないのかと思うと、抱き締めた腕を緩めるのが惜しくなる。
その時、外からドアを軽くノックする音が聞こえた。タクシーが来たと言う鈴掛の合図だ。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい」
雄太はキスをして、ドアを開けた。
「慎一郎調教師が……ですかぁ……?」
「おっちゃん、そんな事してたんだ……」
(この前の父さんの話って、この事だったんだ……)
東京競馬場の調整ルームの雄太の部屋で、四人揃った状態で鈴掛が話始めた。
『再婚したのを黙っていて、ずっと養育費だの何だの金を出させてたのは詐欺と同じだ。何の為の公正証書だ。再婚後に受け取った金を返すか、詐欺で訴えられるのとどっちが良いか選べ』
慎一郎は鈴掛の元嫁の実家へ電話を入れそう言ったという。
元妻の両親は、鈴掛が養育費を払い続けているのも、それ以外にも金を渡している事も知らなかったようだ。
「と……父さん……」
「慎一郎調教師、腹に据えかねてたんだなぁ……」
「おっちゃん……。こえぇ……」
鈴掛が元妻に渡していた金は、一千万円を超えている。騎手は怪我などで収入が途絶えれば貯蓄で生活をせざるを得ないのに、騙して金を引っ張っていたのが慎一郎は許せなかったのだ。
『鈴掛が命をかけて得た金を何に使った? 我が子に金をやるから父親に会えとは何事だ。公立の学校に行かせてるのに、嘘を吐いて月三十万円の援助? 弁護士と今の亭主を交えて話し合ったほうが良い事だぞ』
元妻の両親は、慎一郎の言葉を重く受け止めたようで、相談の上対処をすると言ったという。
「俺は……娘の言葉のショックもあったし、現実を受け止められなくてな……。けど、とにかく仕事に集中したかったからさぁ……。何も行動出来なかったけど、慎一郎調教師が……俺の為に怒ってくれたのが嬉しかったんだ」
鈴掛は、壁にもたれて上を向いた。その様子は、涙を溢さないようにも見えた。
(父さんにすれば、詐欺紛いの言動で金をせしめたのが許せないんだろうな……。父さん、金に汚いのが大嫌いだから………)
鈴掛は目を閉じて、フゥと息を吐いた。
「話がまとまったら慎一郎調教師の所に連絡があるってさ。俺には、何もするなって」
「でも……それだと、もし相手方が脅迫だって訴えたら、慎一郎調教師が……って事にならないですかぁ……?」
鈴掛の言葉を梅野が拾い疑問を口にする。
「俺も、慎一郎調教師が罪に問われたらって言ったんだけど、頑として譲らないんだよ。雄太にも影響出るだろうって言ったんだけどな」
「もし……」
今度は、鈴掛の言葉を雄太が拾う。鈴掛達の視線が雄太に注がれる。
「もし、父さんが罪に問われてどうこうなって、俺まで何か言われてもかまいませんよ」
「雄太……」
鈴掛が大きく目を見開いた。
「父さんが脅迫だって言われたら、なぜそうなったか公なるでしょう? 自分が騙して一千万円以上金を引っ張ってたなんて言われたくないんじゃないんですか?」
「俺もそう思いますよぉ〜?」
「俺もそう思うっす」
雄太達はニッと笑って頷いた。
「お前ら……。事が済んだら、飯奢るからな」
「はい」
「良いですねぇ〜」
「やりぃ〜」
鈴掛は目を潤ませながら、頼もしく笑う後輩達に約束をした。




