487話
前日土曜日に雄太は二勝をあげた。日曜日は天皇賞を含む八鞍に騎乗する。
(重賞だけじゃない……。平場も勝って、リーディングを獲りにいかないとな)
勝ち鞍をあげるのは自分の為でもあるが、厩舎の為でもあり、馬主の為であり、馬の第二の馬生の為である。
(G1を獲ったカームは種牡馬になれるだろうしな。他の馬でも頑張らないと)
カームは既にG1菊花賞と天皇賞秋を獲っている。その上、G2も二つ獲っている。怪我などがなければ種牡馬になれるだろう。良い仔馬が産まれ、その仔に乗れたら良いなと思う。
(よし、今日も精一杯やるぞ。カームとG1三つ目を獲ってやろう)
騎手控え室で、雄太は目を閉じて集中をしていた。隣には、福島から移動してきた梅野が、同じように目を閉じ座っている。
二人から少し離れた場所には、雄太の天敵とも言える小柴がいた。相変わらず、雄太の事は気に入らないらしく、何か言いたげにしていた。
控え室で集中している時に何かをするとは思えなかったが、実は関東での騎乗が多かった鈴掛が釘を刺しておいたのも効いているようだった。
『今までは口頭注意するだけだったけど……。この先、雄太に何かしたら議題にあげるからな? やるんなら騎乗停止の覚悟をしとけよ? 俺は先々の事を考えてる。その時になったら、今みたいに注意では済まないって事も覚えとけよ?』
鈴掛の迫力に、その場にいた他の騎手が『皆が震え上がり何も言えずに固まっていた』と、梅野は伝え聞いた。
(歳だけ喰って、中身がガキじゃ、勝ち鞍は上げられても、人間的に尊敬もされないし、後輩もついてこないって、いい加減気づけば良いのにぃ……。実際、取巻きも減ってるんだしさぁ〜)
雄太がスランプに悩んでいたのに、それでも小柴はリーディング順位は雄太より下だった。『悔しいのは分かるが、レースで勝てよ』と思う人が増えたのだ。
騎手同士が仲が良いのは珍しくない。だが、取巻きを作りお山の大将を気取っても意味はないのだ。
(騎手は勝てなきゃ依頼はこないんだっての知ってるはずなのになぁ〜。依頼されるような騎手にならなきゃ、あっという間に雄太の背中は遠ざかるんだって気づかなきゃ、小柴さんの未来は明るくない……)
梅野は小柴の騎乗技術は認めてはいる。だが、人間的に尊敬は出来ないし、出来れば関わりたくなかった。
「なぁ、雄太ぁ〜」
「はい、梅野さん」
パドックへ出る前、梅野は雄太に声をかけた。目を開けた雄太は、梅野のほうを見る。
「精一杯やろうぜぇ〜。後悔なんてしたくないからなぁ〜」
「はい。もちろんです」
ニッと笑った梅野は、雄太の頭をグリグリと撫でた。
「ちょっ⁉ 何ですか」
「あぁ〜。やっぱ、丸坊主のザリザリした感触が懐かしいなぁ〜」
「梅野さんが丸坊主にして、自分の頭を撫でてくださいよ」
「え゙」
雄太の返しに梅野はギョッとした顔をする。その表情がおかしくて、雄太は笑いが込み上げた。
「やめてくれよぉ〜。髪は男の命なんだぞぉ〜」
「プッ。そんなの聞いた事ないですよ。それを言ってるの梅野さんだけですって」
「生意気ぃ〜」
騎乗の号令がかかり、二人はスッと立ち上がった。
「いこうぜぇ〜」
「はい」
騎手控え室を出る二人の背中を、たくさんの後輩達が眩しく見ていた。
(雄太くん、頑張ってね? カーム、頑張ってね? 無事に帰ってきて。待ってるから)
凱央を抱っこしながら、ソファーに座ってテレビの中の雄太を見詰める。雄太の真剣な顔を見ると、そのたびに恋に落ちる気がするのだ。
(やっぱり雄太くんは格好良い……)
赤く染まった頬に右手を当てて、熱く見詰めている。
凱央は、お気に入りのガラガラを振り回していた。
「ウバァ……キャウ……ダァ」
「凱央、パパの応援しようね」
「アバァ」
「あ、ほら。パパが出てきたよ」
画面の中で、カームに騎乗しキリッと前を向く凛々しい青年となった雄太の姿に、春香は見惚れていた。




