481話
翌日、三人は滋賀に戻った。新幹線の車内でも、タクシーに乗り換えてからも、殆ど会話もなく、重い空気が漂っていた。
雄太も純也も、最後は鈴掛が決める事だと思い、余計な事は言わずにいた。
「ただいま」
「雄太くん、お帰りなさい。お疲れ様」
玄関で出迎えてくれた春香の笑顔を見た途端、何とも言えない感情が胸に湧き、雄太はバッグから手を離し春香を抱き締めた。
日曜日に鈴掛の娘と会うと言っていた事で、何かあったのだと思ったのだろう。春香は、何も言わずに雄太を抱き締め返した。
(……金があっても幸せじゃなかった春香……。金づるにされていた事を知った鈴掛さん……。金は人を狂わせる……)
自分で稼いだ金ではなく、人からむしり取った金で幸せになろうとする人間がいる現実がある。
元カノのミナも春香に対し、雄太の金で良い思いをしてと言っていた。純也の元カノも純也の金での贅沢を覚え感謝もしなくなったと言っていた。
(金があっても驕らず真っ当に生きてきた春香が珍しく思えるぐらいに、浅ましく卑しいヤツが多過ぎる……)
春香の優しい手が、ポンポンと背中を叩いてくれる。まるで『大丈夫だよ』と言うように。
(ありがとう、春香……)
出会った頃と変わらずにいてくれる春香に感謝をした。
「そう……。そんな事が……」
春香の淹れてくれたコーヒーを飲み、昨夜あった事を伝えた。話を聞いた春香は、小さな声で呟いた。
おそらく雄太達が考えていた最悪の状態を上回った事態に、春香も悲しそうな顔をする。
「最終的には鈴掛さんが決める事だから何も言わないでおこうと思うんだ……」
「うん……。そうだね。再婚したのを隠してた上に、養育費や援助していたのも、鈴掛さんが会いたがってたのも、何もかもない事にしてたなんて……」
「その上、愛してやまなかった娘に大嫌いなんて言われたら……な」
ガックリと肩を落とし、言葉数が少なくなった鈴掛を見ていると胸がギリギリと締め付けられるように痛くなったのを思い出す。
「それで、鈴掛さんは?」
「一応、ソルと一緒に寮に戻ったよ」
「……ねぇ。鈴掛さんを呼びにいってくれないかな?」
「え?」
春香は真っ直ぐに雄太を見詰めた。
「余計なお世話かも知れないけど、今鈴掛さんを一人にしておきたくないの。確かに、寮にはたくさん人がいるけど……」
「……そうだな。うん。迎えに行ってくるよ」
雄太はコーヒーを飲み干して、寮へと向かった。
鈴掛は、カーテンを閉めきった部屋でボーッと天井を見詰めていた。雄太のノックにも返事をする気力もなかったようで、勝手にドアを開けて入った雄太を見ても反応が薄かった。
(本当に一人にしておけない……)
「元奥さんの事や娘さんの事に口出しはしません。ただ、今の鈴掛さんは心配なんです。俺達は騎手です。馬に跨ったら、自分の命も馬の命も危険が及ぶ仕事です。鈴掛さんに何かあったら、俺達も嫌です。春香も悲しみます。何が出来るかは分からないですけど、しばらく家に来ませんか?」
真剣に言う雄太を見ていた鈴掛が小さく笑い俯いた。
「そう……だな。正直、今の精神状態で馬に乗って無事かと問われたら、はっきり大丈夫だとは言えない……。情けないが……な」
「……俺だって、今までたくさん鈴掛さんに助けてもらいました。生意気だと思いますけど、俺に恩返しさせてください」
デビュー前に怪我をした時も、初騎乗で負けた時も、春香の実親の事などを聞かされた時に、どれだけ鈴掛が助けてくれたか。
鈴掛は、目の前に座る雄太が大きく見えた。
「分かった……。調教師達や馬主方に迷惑かける訳にはいかないよな」
「そうですよ。鈴掛さんが怪我をするだけじゃ済まないんですから」
「そうだな。しばらく世話になる」
「はい。春香も喜びます」
鈴掛は遠征用の大きめのバッグを物入れから取り出し、荷物を詰めた。
そして、寮長に雄太の家で過ごすと伝えると、雄太の車で春香と凱央の待つ雄太の自宅へと向かった。




