476話
春香が抱っこをしている凱央の前に慎一郎が座り、お食い初めの儀を始めた。
慎一郎が赤飯を数粒箸でつまみ、凱央の口元持っていく。赤飯を目にした凱央は口を開けた。
「凱央、食べちゃ駄目なんだぞ?」
慎一郎がそう言って、箸を凱央から離した。一瞬、凱央は何だったのかというような顔をして慎一郎を見上げた。
慎一郎は吸い物の上澄みを匙で掬い、凱央の口元に寄せた。
チュパッ
「あっ‼ と……き……お……っ⁉」
手にしていた匙を凱央が咥えてしまい、慎一郎は固まった。
「え?」
「と……凱央っ⁉」
春香も、写真撮影していた雄太も驚いて声をあげる。
「ウキャウ」
ほんの少しではあったが、吸い物の汁を飲んだ凱央は、嬉しそうな顔をすると声をあげて笑った。
そっと匙を凱央から離した慎一郎は、ジッと空になった匙を見詰めていた。凱央は、ンクンクと口を動かしている。
「あら。美味しかったのね」
「ふふふ。雄太、血は争えないわね」
里美と理保が顔を見合わせてクスクスと笑う。
春香が手に持っていたタオルで凱央の口元を拭う。
「んもぉ……。凱央ったらぁ……」
「だ……大丈夫なんだろうか? まだ、早いんじゃ……」
焦った慎一郎は、笑っている理保や里美のほうを見ながら訊ねた。
「大丈夫ですよ、あなた。硬い物でもないし、濃い味の物ではないですから」
「そ……そうか? えっと……次は……」
「次は、もう一度お赤飯で鯛、お赤飯で煮物ですよ。落ち着いてください、あなた」
「ん……。ああ」
慎一郎は箸で赤飯、続いて鯛の身を少しつまみ、凱央の口元に寄せた。先ほどより距離をとって……だが。
凱央は、そのたびに不満そうな声をあげながら身を乗り出し、春香はしっかりと凱央の体を抱いた。
「ウ……フヤァ……フヤァ〜」
「え? 泣く?」
食べさせてもらえないと分かったのか、凱央はポロポロと涙を流して泣き出した。
慎一郎はオロオロとし、春香は何とか泣き止ませた。
一連の流れを三度繰り返し、お食い初めの儀が終わると、慎一郎は小さく溜め息を吐いた。
「な……何か、食べさせないという事に罪悪感が……」
「お……お疲れ様です」
グッタリと脱力する慎一郎に直樹は労いの言葉をかけた。
「さあ、お料理をいただきましょうか?」
理保が笑いながら、里美と料理を並べ、直樹は慎一郎にビールを注いだ。
「あ……ありがとう……。では」
「ありがとうございます」
お互いにビールを注ぎ合う。
「父さん、ありがとう。無事にお食い初めが終わってホッとしたよ。まぁ、アクシデントもあったけど。今後も凱央の健やかな成長を見守ってください」
雄太が挨拶をし、皆が乾杯をして食事を始めた。
春香は凱央を抱っこしたまま、雄太の隣に座った。凱央は手をフリフリとした。
雄太がテーブルの上の料理を奥に避けてくれる。
「ありがとう」
「凱央の手が届くとヤバそうだしな」
「だねぇ〜」
凱央はテーブルをペチペチと叩いている。
「ダァ〜。ウバァ〜」
「ん〜。どうしよう……」
「ほんの少しなら大丈夫よ? お吸い物の汁とか、煮物の中心の味が薄いところをほぐしてなら」
里美に言われて、春香は手を伸ばし、煮物の大根の塩分の少なそうな部分をほぐして、凱央の口元に運ぶ。
凱央は嬉しそうにパクリと口にして、マクマクと口を動かした。
「ンマァ〜」
「え?」
「今……美味いって……言った?」
春香と雄太が目が点になる。
「うむ。確かに美味いって……」
「言った……な?」
慎一郎と直樹もビールを片手に顔を見合わせる。
「あら、本当ね」
「言ってましたね」
理保も里美も、笑いが止まらなくなった。
お吸い物の汁を少し飲ませ、柔らかく煮た人参をほぐして凱央の口元に寄せると、凱央はマクマクと食べた。
「にん……じ……ん」
「ウマァウマァ〜」
「ときぉ……」
雄太の引いた声に、皆が笑いを堪えきれきれなかった。




