470話
3月26日(日曜日)
中山競馬場で雄太は二着が二回、掲示板内が二回。純也は三着が二回で掲示板内が一回と、二人揃って一着がなかった。
「ん〜。俺もソルも調子イマイチ……だった」
「だな……。もうちょいって感じだったんだけどな。足が余ってないとか、そんなのばっか」
雄太はブツクサ言いながら、着替えをバッグに詰めながら話す。
「俺さ、調教に乗った時に距離の進言したんだ。『もう少し短めが良いと思います』ってさ」
「え? マジ? 言ったのか……? あの調教師に?」
「言った」
驚いた純也の手が止まる。
今日、雄太が騎乗していた馬の調教師は気難しい事で有名だった。
騎手をやっていたはずなのに、勝てない理由を騎手になすりつけるという事が日常茶飯事で、雄太も何度も叱責を受けていた。
「理不尽じゃないか。俺達は、一週前追い切りとかしか乗ってないのに、『馬が勝てないのは騎手の所為』とかってさ」
「……何て言われた……?」
純也はビクビクしながら訊ねた。
「『生意気言いやがってっ‼ 二度と騎乗依頼出さないからなっ‼』だってさ」
「うわぁ……。マジで言いそうな事を言われたんだ。……んで、雄太は何て答えたんだよ……?」
「何も言ってない。言ったところで通じないだろ? それにさ、春香と付き合ってた頃にも同じように言われたから、『今更?』って気がしただけだ」
雄太は憮然とした感じで、ミニアルバムを一番上に置いてバッグのファスナーを閉めた。
「そりゃさ、俺の乗り方が悪かったなら、何を言われても謝るけどさ。精一杯騎乗して文句言われるとかないだろ?」
「まぁ……うん」
「馬が可哀想だよ。無理な距離走らされたりするのって。馬は『嫌だ』とか『痛い』とか、言葉で伝えらんないんだぞ? 馬の感情を汲み取ってやれない調教師のところに預託されたら、馬が不幸じゃないか」
そうは言ったものの、騎手である雄太がどうにか出来る訳ではない。
依頼が来て受けた以上、精一杯上手く走らせてやるしかない。無事にレースを終えるしかない。
「まぁ、俺的には雄太が言ってくれてスカッとしたけど、さ。おっちゃんに怒られねぇ? 調教師に歯向かったとかで」
「どうだろ? 父さんも、あの調教師のやり方には賛成しかねる部分があるって言ってたしな。あの厩舎の馬の故障率が高いのも気にはしてたみたいだしさ」
慎一郎は馬を大切にしていた。馬主から預かった大切な馬なのだと。
「おっちゃんらしいな」
「ああ」
「俺、おっちゃんトコの馬で重賞獲りたいな」
「そうなったら、父さんも喜ぶだろうな」
そんな話をしながら片付け終わると、鈴掛が顔を出した。
「純也。もう行けるか?」
「はいっす」
今日もレース終わりに鈴掛の娘と会うのだと純也は言っていた。
食事をして、話をし終わる頃には、新幹線の終電を逃す事になると言うので、鈴掛はホテルの予約をとっている。
「んじゃ、雄太。気をつけ帰れよ。春香ちゃんによろしくな」
「はい。お疲れ様でした」
雄太が言うと純也は手を振って、鈴掛と一緒に調整ルームを出ていった。
娘と純也を会わせる日は、鈴掛は純也の分のホテル代や食事代をもっていた。純也は、良いホテルだと落ち着かないと言って、そこそこのホテルにしてもらってはいたが、食事代などの出費もかかっている。
(鈴掛さん……。本当に大丈夫なのかなぁ……)
雄太は小さく溜め息を吐く。金銭的な問題もあるし、調教師や馬主との信頼関係がおかしくなり、騎乗依頼が減れば騎手の収入は激減する。
そうなった時に独り身であれば何とかなるかも知れないが、今までのように娘に仕送りが出来るのだろうかと、余計なお世話とも言える考えが、雄太の頭をよぎる。
(やめやめ。まだ、何もはっきりしてないんだから憶測だ、憶測。取り越し苦労とか言う言葉もあるんだ。決めつけちゃいけない)
雄太は、フルフルと首を横に振って、荷物を詰め込んだバッグを手にして調整ルームを出た。




