第18章 称賛と罵倒 468話
3月23日(金曜日)
調整ルームに行く為の荷物を手にした雄太は、玄関まで見送りにきてくれた春香の手を握った。
「じゃあ、行ってくるな」
「うん。気をつけてね」
「ああ。凱央、良い子にしてろよ?」
春香に抱っこされた凱央は、雄太の右手の人差し指をキュッと握る。
「春香。月曜日は、カームに会いにいこうな」
「楽しみにしてるね」
来週、4月1日阪神競馬場で開催されるG2にカームに騎乗すると決まったと雄太から聞かされた春香は、久し振りにカームに会いたいと思っていた。
静川から許可をもらった雄太は、散歩がてらカームに会いにいこうと春香を誘っていたのだ。
「じゃあ、日曜日は中山だし、先に寝ててくれよな?」
「うん」
雄太は、キスをすると出かけていった。
「雄太ぁ〜。桜花賞、俺出られるの決定したぜっ‼」
「良かったな、ソル。手加減なしだからな?」
阪神競馬場の調整ルームに着くと、純也が嬉しそうに走ってきて、桜花賞の騎乗依頼の報告をしてきた。
「おうよ。今度こそ、雄太に俺の背中を見せてやるから覚悟しとけ」
「それはこっちのセリフだから」
荷物を手に部屋へと向かう。
純也もG1の騎乗依頼が増えてきて、幾度となく一緒に走ってはいたが、まだ純也は優勝は出来てはいなかった。
「今年中にG1獲って、花飾りを着けてインタビューされたり、記念写真撮られたりしたいっ‼」
正月明けに鈴掛達とプチ新年会をした時に酔っ払って声高らかに宣言した純也は、今現在雄太と勝ち鞍の差はなく、リーディング順位は競っていた。
「G1の勝利数は雄太のほうが上だけど、今から追いついて追い抜いてやるからな」
「絶対、抜かさせないからな。春香が色紙抱えて待ってくれてるんだから」
雄太が重賞を獲るたびに書いているサイン色紙は、コレクションルームの棚に順番に飾ってある。
(一日も早く飾る場所がないって困った顔をさせてやるんだ)
雄太の目標は高い。けれど、その目標に向かえる力を春香がくれた。
春香が背中を押してくれていると言う気持ちになっていた。
「あ、そんでさ。おっちゃんトコの風呂を新しくするってのは、どうなったんだ?」
「ん? ああ。もう細かい事は決まったんだ。来週の水曜日には工事が始まるぞ」
純也は、畳の上にどっかりと腰を下ろしながら言う。
「雄太ん家とおんなじ感じの風呂にするんだろ?」
部屋の隅に荷物を置いた雄太は純也の前に座る。
「そうそう。風呂のヘリが低めで足が伸ばせるヤツな」
「あれ、良いよなぁ〜。俺、家建てる時が来たら、絶対雄太ん家みたいな風呂にするって思ったぜ」
「ソル、ずっと湯船でプカプカしてたもんな」
純也は、雄太の家に連泊した日、バスピローに頭を預け、相当な時間湯に浮いていた。
「騎乗数が多い時とか、冬場は足を伸ばして入れると楽なんだって思ったんだよなぁ〜」
「分かる。俺、春香のマンションに泊まりに行ってた頃、マジで思ってたもんな」
初めて足を伸ばして入った時から、自分で家を持つ時がきたら絶対にこう言う風呂にするのだと決めていた。
寮の風呂や調整ルームの風呂は大きいと言えば大きいし、他の人が居なければ足を伸ばす事は可能だが、人がいる事が多い。
「俺、雄太にならって実家の風呂場のリフォームしてやろうかと思ったんだけど、それなら家を建ててやるほうが無駄にならないって思ってさ」
「良いじゃないか。おじさんもおばさんも喜んでくれるだろうしさ」
「だよな。雄太みたいにデカい家は無理かも知んねぇけど、雄太ん家で良いなぁ〜って思うのは真似させてもらうぜ」
純也は、ニッと笑って親指を立てる。
雄太は、親孝行な親友が頼もしく見えた。
春香の過去の話を聞いた時に泣いていた心優しき親友が、親に楽をさせてやりたいと言ったり、良い家を建ててやりたいと思っていると言う事が嬉しかった。
「家を建てるって時は、相談にのってくれよな?」
「ああ、もちろん」
二人は拳を合わせて約束をした。




