467話
3月14日(水曜日)
「よし、準備OK」
春香は満足気に頷き、冷蔵庫の扉を閉めた。中には、生春巻きなど雄太の好物が入っている。
(雄太くん、喜んでくれるかなぁ〜)
数日前から、どんな料理を作ろうかと、レシピ本などを見ながら考えていた。
『雄太の喜ぶ顔が見たい』そう思い、笑顔を想像するだけで頬が熱くなる。両手で頬を包み込み、一人でワチャワチャしていると玄関のセンサーが反応しランプが点いた。
モニターを覗くと、雄太が自転車を押しながら玄関の門扉を開けていた。
「あ、雄太くんだ」
春香は玄関へと走った。
風呂を終えた雄太はダイニングテーブルの上を見回した。
「豪華だな」
「うん。初めてローストビーフ作ってみたんだぁ〜」
生春巻きやローストビーフなどが並んでいる。
テーブルの真ん中にはスイートアリッサムが飾られている。
「今年も、このお花にしたよ」
「ありがとう。この花の花言葉のように頑張るよ」
「うん」
昨年の雄太の誕生日に飾ったスイートアリッサムの花言葉は飛躍。菜の花のような明るい色合いが春らしくて、花言葉と共に雄太も気に入っていた。
まだ、春香が酒を呑まないと言うので、炭酸飲料で乾杯をする。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう、春香。何かあっという間だった気がするんだよな」
「うん。不思議な感じだね」
出会った時は十七歳で、丸坊主で垢抜けない感じだった雄太。だが、夢を語る瞳はキラキラと輝いていた。
「今思うと、俺ってガキっぽかったよなぁ〜」
「え? あ……う……うん」
即答出来ない春香は目が泳ぎながら、少し顔を逸らす。その姿で、春香がどう思っていたのか分かってしまった。
「やっぱり」
「あはは」
二人で顔を見合わせて笑う。
少年らしく負ける事など考えていなかったあの頃。初騎乗で勝てなくて落ち込んでいた事ですら懐かしい。
若さ故だったのだろうなと、今は思える。
「私、幸せだよ。雄太くんが大人になっていく姿を誰よりも近くで見ていられて」
「そうだな。俺の騎手人生は春香と一緒だったもんな」
「これからも、ずっとずっと一緒にいてね。誰よりも近くで雄太くんを見ていたいから」
笑顔の春香をジッと見詰める。柔らかな笑顔を浮かべる最愛の女性との過ごしてきた日々を思い返す。
雄太の成長は、春香の変化とも言えた。
(俺の大好きな笑顔が増えてくれた事が一番嬉しいんだ……。俺は、春香の笑顔が大好きなんだから……)
心が悲鳴を上げていたような状況だった春香の手をとり寄り添って歩いてきた。
春香自身も『暗闇の中にいた』と言っていた。直樹達や商店街の店主達の愛情を受けながらも、心に広がる闇は払いきれなかった。
「えっとね」
「ん?」
春香は、立ち上がりキッチンに向かった。
クローシュをかぶせた皿をテーブルに置く。
「買ったケーキじゃなくて、今年は手作りしてみたの。開けてみて」
雄太が頷き、クローシュを持ち上げると、そこには向日葵を模したアップルパイがあった。
「向日葵?」
「うん。雄太くんは、私の太陽だから『ずっと見詰めていたいな』って思って向日葵にしたの」
三月に向日葵はおかしいかなとも思った春香だが、雄太がいなければ今の自分はないなと思い、太陽を見詰める向日葵のアップルパイを作った。
「じゃあ、これは春香って事?」
「そうなっちゃうかも。色々考えてたんだけど、雄太くんは太陽って言うのから始まって、太陽と言えば向日葵だよねってところに行きついたんだよね。太陽を見てる向日葵って事は私かなぁ〜って、オーブンで焼き始めた時に気づいたの」
そう言った春香は照れ笑いを浮かべた。
「ありがとうな。春香の太陽として恥ずかしくないように頑張るよ」
「うん」
結婚式のように二人でアップルパイにナイフを入れ、一口ずつ食べさせあった。
ホワイトデーのお返しとしてお気に入りの紅茶をもらった春香は雄太といられる幸せを噛み締めた。




