466話
3月12日(月曜日)
「雄太くん、お散歩に行かない?」
「え? 散歩?」
「良いお天気でポカポカしてるし」
何かと騎手以外の仕事が入る事が増えた雄太だが、今日の予定は入っていない。
「そうだな。たまにはのんびり散歩しようか」
「うん。凱央、パパとお散歩行こうね〜」
春香は、凱央に声をかけてオムツの確認をする。その様子がウキウキしているようで、雄太はホッと息を吐いた。
(春香は……まだあの記事の事を知らないのかな……?)
数日前、雄太の記事が出た。
『鷹羽雄太不調? 重賞を勝てなくなった理由とは』
大きな見出しで、雄太のスランプの原因が云々というものだった。
(俺は、何を書かれても良い……。事実なら、それを受け止めなきゃならないのは百も承知してる……。ただ、春香が悲しむのは嫌なんだ……)
若くに結婚をし、子供を持った事や大きな家を建てた事などがプレッシャーになっているのではなどとつらつらと書かれていて、悔しさと不甲斐なさに拳を握り締めた。
「雄太くん?」
「ん? あ、準備出来たか? じゃあ、ベビーカーを出してくるよ」
「お願いね」
雄太はシューズクローゼットにしまってあるベビーカーを出しに玄関へと向かった。
「ほら、凱央。お外だよ〜。ポカポカだね〜」
「アゥ……ウキャウ……」
ベビーカーに乗せられ、雄太が春香に贈った膝掛けをかけられて、凱央はご機嫌で両手をフリフリしていた。
たまに大きく足を上げるので、そのたびに膝掛けをかけ直さないと駄目なぐらいだった。
自宅を出て、当たり前のようにトレセンのほうに向かって歩き出した。
「春って感じがするね」
「そうだな。風の中に暖かさがある感じするよ」
「春のG1シリーズが始まるね」
フワッと風が吹いて、また少し伸びた春香の髪が揺れる。
「凱央がいるから見に来て欲しいとは言えないけど、俺頑張るからな?」
「うん。現地で応援したいけど、まだ凱央の競馬場デビューは早いもんね」
「凱央と一緒に応援してくれるのは、いつになるかな?」
「ん〜。一歳ぐらいになったら指定席を取って行けるかな?」
一般席で応援するのはまだまだ先になると雄太も思っていた。
関係者席なら大丈夫かとは思うが、授乳する時の事を考えると、さすがに離乳食が始まってからでないと厳しいだろうなと思う。
「離乳食が始まる頃って梅雨に入るよなぁ〜。雨の時期にベビーカーで移動って大変だよな」
「そうだね~。夏になったら、雄太くんの遠征が始まっちゃうし、秋のG1シリーズぐらいになったら行けるかな?」
そんな事を話ながら、トレセンへ続く坂道を登って行く。
月曜日だから人は殆ど居ないが、厩舎のほうからは馬のいななきが微かに聞こえてくる。
「ねぇ、雄太くん」
「ん?」
「私、雄太くんを信じてる。何があっても、雄太くんなら日本一になれるって思ってるよ」
「あ……」
真っ直ぐに前を見ながら春香は話す。その瞳は力強かった。
「調子が良い時があれば、イマイチな時があったって当たり前なのにね。一生絶好調な人なんていないでしょ? そんな人がいるなら、私会ってみたいよ」
春香は、微笑みながら言葉を続けた。
(やっぱり……春香は、あの記事の事を知ってるんだ……)
「私は、何を言われても大丈夫。雄太くんが、私と凱央を大切にしてくれてるなら良いの。雄太くん、気に病まないでね?」
「春香……」
テクテクとベビーカーを押しながら歩いている春香は母親の強さを身につけているようだ。
「雄太くんが勝ってくれるのは嬉しいよ。でも、勝ちたいって思って勝てる訳じゃないよね?」
そう言って立ち止まり雄太を見上げる春香の言葉に胸が熱くなる。
「そうだな。勝ちたいって思って勝てるなら、俺は全勝してなきゃおかしいし、逆に全敗してなきゃおかしいもんな。みんな勝ちたいんだから」
ベビーカーを押す春香の手に、雄太はそっと自分の手を重ねた。
春香の手は温かく雄太の心を癒やしていった。




