444話
新居への引っ越しを終え、精力的に雄太は調教をしていた。
週末、金曜日になり阪神競馬場の調整ルームに行く時間になった。玄関で春香と抱っこをされた凱央が見送ってくれる。
「それじゃ、いってくるな」
「うん。気をつけてね」
「ああ。春香も気をつけろよ?」
借家の時と違って、しっかりと防犯対策をしているので、心配はそれ程大きくはない。
一つあるとしたら、地元以外のファンと思われる人達が新居の周りに来てしまっている事が悩みの種だった。
(そりゃ、目立つし分かりやすいだろうから、その内に……とは思ってたけど、意外と早かったよな……)
インターホンが鳴ってもカメラで確認も出来るし、玄関の周囲だけでなく、塀の上には防犯カメラがある。
そのカメラの下には『防犯カメラ録画中』と看板が設置してあるし、門扉の所にはセキュリティ会社のステッカーも貼ってある。
(今のところインターホン鳴らされたりはないけど、俺がいない時だと何があるか分からないからな……)
本来なら、そういった心配も杞憂であるだろうと思われるのだろが、雄太にはミナの蛮行が頭にあった。
春香や凱央が危害を加えられたらと思うと気が気でない。
「アバァ〜」
「凱央、良い子にしてろよ? パパ、一生懸命に騎乗してくるからな?」
「キャウ」
凱央は春香に抱っこされながら、雄太の指を握っていた。
細く小さな指がキュッキュッと握り締めてくるのが愛おしい。
「そうか、そうか」
春香とも離れがたいが、凱央とも離れがたい。それでも、調整ルームに入らなければならない時間が決まっている限り出掛けなければならない。
「いってらっしゃい」
春香のキスを受け止め、雄太は阪神競馬場へと向かった。
調整ルームでは、土曜日に一緒に出る鈴掛と食堂で駄弁っていた。
「あっという間に二月になったよな。ついこの前、正月になったって感じなのによぉ」
「そうですね。こんな感じだと、直ぐ春のG1シリーズ始まる気がしますよ」
そう言って結婚指輪を通したネックレスに手をあてる。
(G1を獲って春香の喜ぶ顔が見たい。コレクションルームを埋め尽くしてやりたいんだ)
鈴掛はニッと笑って、胸ポケットから写真を出した。
「え……? あ、もしかして……」
「ああ。この前、娘から手紙が来てな」
鈴掛は優しい優しい顔をして写真を撫でる。
「ずっとずっと会えなかったから不思議な感じだけど、それでもやっぱり娘は娘だった」
元妻が鈴掛と娘を会わせた理由は、『私立の学校はお金がかかるから』なのだが、それでも会いたかった鈴掛は養育費と別に授業料などを送る約束をしたと言う。
鈴掛の同期達や親しくしている調教師達は、『金づるにされているだけだ』と説得したのだが、鈴掛は『自ら金を出すと言った』と言っていた。
「俺は再婚する気もないし、俺が死んだら財産は娘が相続するから、今渡すのも死んでから渡すのも一緒だからな」
雄太も、鈴掛の財産が娘に渡る事は当たり前だとは思っていた。だが、どうしても、金づる扱いされているのは納得出来なかった。
春香が、実親に金づる扱いされていた事があったからだろう。
(どうして金づる扱いなんて出来るんだ……。確かに、俺は鈴掛さんの元奥さんの人柄は知らないけど、今のままじゃ……)
鈴掛が納得していれば良いのではとは思うが、どうしても引っかかるのだ。
「俺は、さ」
「あ、はい」
嬉しそうに写真を眺めながら、鈴掛が話す。
「娘が幸せならそれで良い。もし……娘に渡した金の一部を元嫁が好きに使ったとしても構わないんだ。贅沢する気もないし、な」
長く娘と会えなかったからこそ、その分も娘の為に何か出来る事が嬉しいのだと言われたら、雄太は何も言えなくなった。
もし、鈴掛と同じ立ち場になったら、雄太も同じようにするからと言う気持ちがあるからだ。
(しばらく様子見……かな)
雄太は見守る事にして、週末の騎乗をどうするかを再び考える事にした。




