438話
新居への引っ越しをする前日の2月3日土曜日。
東雲では、午前中だけ休業にして凱央のお披露目会がおこなわれていた。
「おぉ〜。この子が凱央ちゃんか」
「春ちゃんに似てるな」
「春香ちゃんが母親になったなんて感慨深いわね」
凱央は大人しく、代わる代わる顔を覗き込んでくる年配男性、年配女性達を見ていた。
「おぉ……おぉ……。可愛いのぉ……。大きゅうなったな」
「川下のおじいちゃん、泣かないで」
薄っすらと涙を浮かべて、久し振りに凱央を抱きながら喜んでくれている姿は、曽祖父そのものだった。
「ひと月で、重くなったし、顔もしっかりしてきたのぉ〜。目元は、やはり春ちゃんじゃな」
「うん。みんなそう言うの」
曽祖父と孫娘と曾孫のような姿を、お披露目会にきたみんながほのぼのと見ていた。
「凱央、大人しかったわね」
「だね。まだ人見知りする時期じゃないけど、あれだけの人達が入れ替わり立ち替わりだったから、いつもと雰囲気が違うって泣くかと思ったんだけどね」
お披露目会を終えて、凱央はおっぱいを飲んで昼寝をしていた。里美と春香は、明日の午前中にはマンションから出るので冷蔵庫の材料を贅沢に使ったオムライスを食べていた。
「凱央は、雄太くんに似て大物になるのかも知れないわよ? たくさんの人達の期待を背負って走る度胸があるんだしね」
「うん。G1の時なんて十万人とか凄い人達の前で走るんだもん。私が想像も出来ないぐらいの度胸があると思うよ」
オムライスをパクっと口にし、直樹や里美と昼食を食べるのは、しばらくないんだなぁと春香は少し淋しく思った。
(まだまだ寒い日が続くだろうし、雄太くんが遠征とかなっても、泊まりに来たり、顔出しも出来なさそうだしな)
直樹も里美も昼休みに新居にきてくれるだろう。往復の時間を考えると、ゆっくりと食事をする事は無理だと思える。
凱央に会う為に臨時休業する事は、待っていてくれるお客の事を考えると無理だ。
「お宮参りの日が待ち遠しいわ」
「うん。お父さんとお母さんにも、お泊りして欲しいんだけどね」
「え? なぁに?」
あまりに小さな声で呟く春香に里美が聞き返した。
仕事に真面目な直樹と里美。春香が入院したり、結婚式などの時など何かにつけて臨時休業をしてくれている。
何の用もない時に、臨時休業にしてまで泊まりにきて欲しいとは、春香は言えなかった。
「ううん。何でもないの」
愛想笑いを浮かべながら、春香は昼食を食べ、食べ終わった里美は店へと戻った。
夕方近くになり、直樹が顔を出した。
「春、荷物はまとめてあるか?」
「うん。大丈夫だよ」
「まぁ、忘れ物があっても届けてやるから」
「ありがとう、お父さん」
直樹は、里美以上に春香と凱央を手元に置いておきたいだろうと、調整ルームに入る前に雄太は話していた。
「お義父さん、ひと月ありがとうございました」
「……ひと月って、こんなに早いんだな」
「へ? あ……あはは」
拗ねたように言う直樹に苦笑いするしかない。
(お義父さんって、春香と血が繋がってないのに、拗ねた感じはそっくりだな)
「お宮参りの時だけでなく、いつでも家に遊びにきてください。客間もありますし、何より春香と凱央が待ってますから」
「ああ、ありがとう。遠慮なくいかせてもらうよ」
「はい。待っています」
春香は直樹達はこられないだろうと思っていたが、雄太は開店前に戻るようにすれば泊まってもらえるだろうと考えていた。
(俺、ひと月トレセンにここから通ってて大丈夫だったんだしな。お義父さんもお義母さんも若いんだし)
後は、直樹と里美が決める事だが、雄太の思いは伝えておいて良いと思ったのだ。
「それじゃあ、いってきます」
「ああ、頑張ってこい。荷物の運び出しは任せとけ」
「はい。お願いします」
春香と凱央が居なくなるのも淋しいが、いつの間にか息子のように思えてきた雄太が居なくなるのも淋しいと思っていた直樹だった。




