432話
「あのさ、春香」
「ん? なぁに?」
寝室で凱央におっぱいを飲ませながら、春香は雄太の方を見る。
「正直に言ってくれるか?」
「え? うん」
「……正月明けからこっち、俺の勝ち鞍がイマイチだったのどう思ってる?」
さり気なく好物を作ってくれたり、帽子を編んでくれたり、凱央が寝ている間に時間かけてマッサージしてくれたりしていた。
春香なりに一生懸命気を遣ってくれているのは分かっていたが、どうしても訊きたくなってしまったのだ。
「どうって……」
「俺がうなされて起きた時、少しだけ話したけど……。ちゃんと訊きたくなったんだ」
本当は、こんな話をするつもりはなかった。床上げが済んだら引っ越しをする予定なのだから、新居の話……未来の話をしようと思っていたのだ。
だが、今後またスランプになる時があるかも知れないと思うと、春香がどう思っていたのかが気になってしまった。
「うん……。雄太くんも色々と悩んでるんだろうなって思ってたよ」
「うん……」
「でもね、勝ちたいって思っても勝てるものじゃないでしょ? 競馬って。雄太くん一人で走ってる訳じゃないし。勝てる時も、勝てない時もあるのが当たり前だよね?」
優しい声が更に優しくなった気がする。
「勝てなくなったからって、私は雄太くんが弱くなったとか思わないよ? ましてや手を抜いてるなんて思わないもん。そりゃね、雄太くんが勝ってくれたら嬉しいし、サイン欲しいけど、私は雄太くんと馬が無事に帰ってきてくれるのが一番嬉しいんだけど……。それじゃ駄目なのかな……?」
「駄目じゃないよ。一着になるように乗るのが俺の仕事だ。乗せてもらった馬を無事にゴールさせなきゃならないのも俺の仕事だから」
「うん」
おっぱいを飲み終えた凱央を立て抱っこしてゲップをさせる。
「コフッ」
「上手にゲップ出来たねぇ〜」
横抱きにして、寝かしつけを始める。フワワッと欠伸をする凱央の指を雄太が撫でると小さな指がキュッと握る。
「私は、騎手の仕事をしてる雄太くんが好き。でも、騎手の気持ちとか全部は理解出来ない……。もどかしいし、どうしたら良いんだろうって思ってたよ。何か言った方が良いのかなって思うけど、よく分かってない私が的外れな事を言うのは違うかなって思うんだよね……」
付き合う前、梅野や乗馬教室の小野寺が、春香には騎手の才能があるのではないかと言っていた。
もし、春香が騎手になって、騎手の気持ちが分かっていたら、春香の答えは今とは違っていただろうと思う。
(たらればを考えても仕方ないよな……。春香は俺と付き合って、結婚してくれて凱央を産んでくれたんだから……)
スースーと寝息をたてて眠る凱央の顔を見ながら、春香の頬にキスをする。
「ありがとう。俺は、春香が的外れな事を言ってるとか、春香が言ってくれた事やしてくれた事をイラついたりした事はないよ。ありがたいって思ってる」
「うん」
「騎手の気持ちとか分からないって言うけど、俺だってマッサージ師の気持ちも母親の気持ちも女の気持ちも分かってないだろ?」
「マッサージ師と母親の気持ちは分からないかもだけど、雄太くんは私の気持ち理解しようとしてくれてるでしょ?」
今まで、自身が春香の気持ちを無視した事があっただろうかと考えてみた。
(あ……一回だけ……あった……)
春香に色っぽさを感じてしまい、性欲に流されそうになったあの時だ。
「雄太くんは、ちゃんと寄り添ってくれてるから」
「うん。そう言ってもらえて嬉しいよ」
寝ている凱央を起こさないように、雄太はそっと春香の肩を抱き、春香は雄太の胸に顔を寄せた。
「これからも……何度もこう言う事があると思うんだ。気を遣わせたりするかも知れないけど……」
「大丈夫。私は、どんな時も雄太くんの傍にいるし、雄太くんの夢を一緒に追い掛けるから」
「ああ。ありがとう、春香。大好きだ」
「私も大好き」
不安な気持ちは残っているが、春香と一緒なら大丈夫と思えた雄太だった。




