407話
「お母さん。お願い事して良い?」
「あら? なぁに?」
「明日、梅干しのおにぎり作ってきて欲しいの」
「良いわよ。梅にぎりって、たまに食べたくなるのよね」
「あれってなんだろね? 日本人の血が梅を欲してるって感じするんだよね」
スヤスヤ眠る凱央の顔を見ながら、ほのぼのと母娘の会話を交わす。
「そう言えば凱央は夜泣きは酷くないのよね?」
「約二時間ごとに起きるって言われてるけど、短くても三時間ぐらいかな? よく寝る子で助かってる」
「そう。でも三時間しか寝られないなら寝不足は大丈夫なの?」
「凱央は、たまに三時間以上寝てるから、あんまり寝不足って感じはないかも」
里美が一番気にしていたのは、春香が寝不足になり精神的に追い詰められないかと言う事だった。
床上げまでの期間は里美がフォローをする事が出来るが、新居が完成して栗東に戻れば、雄太の生活サイクルに合わせなければならなくなる。凱央が少しでも長く寝ると言うのはありがたい。
「お母さんは疲れてない? 病院にきてくれるのだけでも、疲労溜まりそうなんだけど」
「凱央の顔を見れば、疲れなんて吹っ飛ぶのよ」
「なら良いけど」
何度訊いても、やはり気になってしまう。
里美と直樹は、午前は直樹が病院にきて、午後は里美がくると言う感じで交代で店を開けていた。
今日、直樹は凱央の写真を店に飾り、お披露目をしていた。
「直樹先生、この子が孫かい?」
「おお。春ちゃんに似とるのう」
「将来は……医者か? 否、騎手か?」
今回も、春香は出産祝いの祝儀は受け取らないとしていたので、皆は写真を見ているだけであった。
「春に似て聡明な子になると思ってる。将来が楽しみだなぁ〜って」
「幸せ爺ちゃんしてるな」
「若爺ちゃんだな」
呆れるぐらいに目尻を下げ、ご近所で孫のいる人達と爺トークを繰り広げていた。
(後一ヶ月と少しで、栗東の新居に帰るんだろうなって思うと淋しいんだよな。春だけでなく、凱央も帰っちまうんだから……。どうせなら、もっと豪邸にして、後二ヶ月とかうちで暮らしてくれないかなぁ……)
今から変更する箇所がないかと、あれこれ考えるが、雄太と春香がしっかりと構想し、綿密に打ち合わせた新居は、確実に完成へ向かっていた。
(まぁ、鷹羽のご両親が同居は何年も先って事だし、時間を見つけて会いにいきたいな。……里美には怒られそうたけど)
二人が店を閉めてから、雄太の家に行くとしても、仕事柄雄太は就寝しているだろうし、春香も早目に寝る事にしていると言っていた。だから、夜に凱央の様子を見に行く事は、ほぼ無理なのだ。
顔を見られるとしたら、外出が出来るようになってから、買い物ついでに店に寄ってもらうしかない。
(春だけでも帰したくなくなるのに、凱央が顔出しにきたら、絶対帰したくなくなる自信あるぞ)
そんな事を考えながら受付業務をし、時間を見つけて翌月のシフトを組む。その合間にも、凱央の写真を見てはニマニマとしてしまう。
直樹のお気に入りは、凱央を抱く春香を中心に直樹、里美と一緒に撮ったものだ。
それを、大きく引き伸ばして額に入れた物を店の壁に飾り、同じ物を家にも飾った。
「慎一郎調教師、今日の……。あれ? この写真……」
「お? 鈴掛か。……うん、まぁ……その……だな……」
慎一郎が壁に飾っていたのは、もちろん凱央と撮った写真である。直樹達と同じように、凱央を抱いた春香を中心に慎一郎、理保で撮影した物だ。
今まで、厩舎内に馬の写真しか飾っていなかったのに、孫が産まれるとこうなるのかと鈴掛は苦笑いを浮べた。
「調教師、本当に良かったですよね。母子ともに元気だったし」
「まぁな。笑うなよ? 儂が調教師を引退する前に凱央が騎手デビューするかと思うと……な」
「そうですね。孫のデビューを自厩舎でとか夢みたくなりますよね」
「だろう?」
鈴掛の言葉に、満足気に頷く慎一郎は、誰がどう見ても爺バカだった。




