400話
12月24日(日曜日)
中山競馬場の調整ルームで目を覚ました雄太は、窓を開けて冬の空気を思いっきり吸った。
(クリスマスイブかぁ……。春香の誕生日も、クリスマスイブも調整ルームに入ってたら一緒にいられないんだよなぁ……)
雄太が子供の頃、クリスマスイブにケーキを食べる事はなかった。騎手である父はケーキなどに興味もないし、斤量の関係で甘い物は一切口にしなかった。
子供の頃、一度だけ理保に『家はテレビのようなクリスマスケーキは食べないの?』と訊いてみた事があった。少し困った顔をした理保は翌年、イチゴのショートケーキを雄太の分だけ買ってくれた。
(よく考えたら、ホールのクリスマスケーキ買っても、母さんと二人じゃ食べきれなかっただろうしな。雰囲気だけでもって思ってくれた母さんには感謝しなきゃなぁ……)
クリスマスケーキもなく、プレゼントもクリスマスツリーもなかったのが当たり前だった春香に、一緒に過ごし、イチゴのケーキを食べさせてやりたいと思っていた。
それは子供に対しても思う。
(子供が産まれたら、ケーキとプレゼントはしてやろう。俺、そこまで欲しかった訳じゃないけど、何かしてやりたいって思うんだよな)
子供だけでなく、春香が喜ぶ顔が見たいのだ。
(春香どうしてるかな。東雲にいるから心配する事はないんだけど……)
フゥと息を吐くと窓を閉めて、朝食を食べに食堂へ向かった。
「雄太」
「雄太ぁ〜」
前日から中山入りをしていた鈴掛と梅野が声をかけてくる。二人とは共に有馬記念に出走するのだ。
「おはようございます」
「ん? 何だよ、元気良いな」
「残念〜。春香さんシックになってるかと思ったのにぃ〜」
「俺を煽っても無駄ですからね。春香にトロフィー持って帰ってやるんですから」
雄太はニヤリと笑って二人の口撃をかわす。
「お? 生意気なヤツだな」
「春香さんが絡むと強気だよなぁ〜」
二人はニヤニヤと笑いながら、雄太の前の席に座る。後輩騎手や未だG1を獲れていない騎手からすれば豪華なメンバーに見えるだろう。
「一緒に中山に移動した奴から、春香ちゃんに電話してる様子とかなかったって聞いたから、春香ちゃん切れしてるかと思ったのにな」
「ですよねぇ〜」
春香切れしていないかと言えば多少切れている。何とかミニアルバムで堪えてたのだ。
いつ子供が産まれるかという事もあり、頭の中は春香と子供でいっぱいだった。
「電話って。そんなのしませんよ。春香が応援してくれるの分かってますから」
雄太は笑いながら、そっと結婚指輪を通してあるネックレスに手をあてる。
「それ、本当に格好良いよなぁ〜。革だし、使い込めば良い色になるしさぁ〜」
「そうなんですよ。段々と柔らかくなってきてるんで、肌に沿う感じって言うか馴染んできてて」
春香もだが、雄太もアクセサリー類を身に着ける事がなかった。梅野のドッグタグを格好良いとは思っていたが、自分が着けると言う意識はなかった。
「それ着けてりゃ、いつも春香ちゃんと一緒って感じなんだな」
「はい。春香は俺の護り神みたいなんで」
レースが始まる時間になると頭からすっぽり抜け落ちるが、雄太にとって春香は唯一無二な存在なのだと思っている。
どんな時でも、目には見えなくてもそっと寄り添ってくれている。
「きっと春香さん、今頃クシャミしてるかもなぁ〜」
「まぁ、雄太が春香ちゃんの事を話さないなんてないから、ずっとクシャミしてるかも知れないぞ?」
「あはは。そうかも知れませんね」
有馬記念に出走する三人がなごやかに話している。それを見ている騎手達は、緊張している者や『リラックスし過ぎじゃないか?』と思っている者もいて、ピリピリした雰囲気が漂う。
(俺も、菊花賞獲るまではピリピリして見えてたんだろうな)
春香にプロポーズするんだと意気込んでいた頃が懐かしく思えていた雄太だった。
有馬記念の発走まで、後約九時間。




