397話
慎一郎は阪神競馬場に行き、直樹は店で予約客と従業員に連絡をしていた。
予約していた人々からお祝いの言葉をかけられ、直樹はホクホク顔だった。
(えっと……これで大丈夫かな? 里美は仮眠程度しか眠れてないだろうし、俺が病院に行ったら少し寝かせてやろう。疲れてるだろうしな)
全て仕事を終えた直樹は、ウキウキとしながら病院へ向かった。
夕方になり、阪神競馬場から戻った慎一郎が病室へ訪れた。
「お義父さん、お疲れ様でした」
「ありがとう、春香さん。雄太は四勝したよ」
「そうですか。嬉しいです」
土曜日は阪神で騎乗し、日曜日は有馬記念がある中山競馬場へ移動する。カームに騎乗する雄太が、前日にも勝てて良かったと春香はホッとした。
春香は、テレビ台の引き出しを開けて、白い布と太いマジックを出した。
「あ、お義父さん。これに、子供が産まれた事を書いていただけますか?」
「ああ。。12Rを走り終わった雄太に、これを見せてやりたい……。そう言う事だったな」
「はい。レースが終わったら雄太くんが電話をしてくるのは分かっています。だけど、一分でも、一秒でも早く知らせてあげたいんです」
春香の気持ちが伝わり、慎一郎はニッコリと笑った。
慎一郎は、レースに挑む雄太の気が散らないようにと言う春香の気持ちが何よりも嬉しかった。
「じゃあ、書かせてもらうよ。何て書けば良いだろうか?」
「はい。名前と産まれた日時と体重を書いていただけますか?」
「な……名前……? え?」
「名前は、もう随分前、性別が確定した時に雄太くんと話し合って決めていたんです。それで、ずっとお腹にも話しかけていたんです」
慎一郎と春香の会話を黙って聞いていた直樹と里美の方を慎一郎が見詰める。
「俺達もさっき聞いたんですよ」
「本当に男の子か女の子かすら教えてくれなかったんですよ?」
直樹と里美がニコニコと笑いながら言う。
直樹達にも内緒にしていた事に驚きながら、慎一郎は春香の出した布をジッと見詰めた。
「雄太と話し合って決めたんなら、儂は何も言う事はないよ。何より、無事に産まれたんだしな」
「はい。ありがとうございます。あ……」
春香は、テレビの横に立てかけてあったビニール袋を手に取り、中から色紙と筆ペンを取り出した。
「お義父さん。それを書き終わったら、命名書も書いていただけます?」
「え? 命名書もか? 儂が書いても良いのだろうか?」
慎一郎は、また直樹達の方を見る。
「鷹羽さん、お願いします。俺は、明日中山に行く。鷹羽さんは孫の命名書と垂れ幕を書く。分業にしましよう」
「そ……そうですか……? まぁ、東雲さんがそうおっしゃるなら……。ですが、何やら責任重大と言う気がしてきましたな」
慎一郎は、深呼吸を何度もしていた。
春香は、その姿を見て、初めて雄太にサインをもらった時の事を思い出した。
(お義父さんと雄太くんって、本当にそっくり)
厳しくされた事もあったが、真面目な処はやはり親子だと感じた。
「えっと……名前は何と言うのだろうか?」
「はい」
春香に聞かされた名前に、慎一郎は驚いた。
「は……春香さん……」
「雄太くんには、凄いプレッシャーになっちゃうかなって思ったんですけど、『気合い入るな。頑張らなきゃな』って言ってくれたんですよ」
「もし……その願いが叶うなら、儂は……」
騎手として名声を得ていた慎一郎だが、現存するG1の全てに出走した訳でもない。だから、制覇は出来ていない。
雄太が自分が獲る事が出来なかった重賞を獲ってくれたらと思う事があった。
雄太の夢と春香の願いは、慎一郎の願いを遥かに超えていた。
「良い名前だ。うん……。儂の願いも込めて書かせてもらうよ、春香さん」
「はい。お願いします、お義父さん」
慎一郎は、丁寧に名前を書き、12月23日午前1時5分3010g誕生と書いた。
その後、命名書も書き、孫の健やかな成長を祈っていた。




