396話
「お父さん。こんなに早くお爺ちゃんにしちゃってごめんね」
赤ん坊を抱く直樹に、春香は笑いながら言った。
「かまわないさ。春が雄太と結婚したいと言った時に覚悟はしてたからな?」
「うん。これから、もっともっと頼る事が増えると思うんだけど良い?」
「当たり前だ。この子が騎手になりたいって言っても、医者になりたいって言っても俺は協力を惜しまないからな?」
「ありがとう、お父さん」
まだ若い直樹にしてみれば、自分が『お爺ちゃん』になる想像などしていなかっただろうけれど、実際こうやって孫を抱いていると可愛くて仕方がないようだ。
「直樹、そろそろ帰らないと」
「え? 明日は休みにしたんじゃ……」
「臨時休業の貼り紙はしたけど、予約のお客様に連絡したり、従業員に休みを伝えないと駄目でしょ?」
「うぅ……」
帰宅を渋る直樹に、春香は笑いが込み上げる。それだけ、孫が可愛いのだろう。
「お父さん。仕事が終わってからきてね」
「春ぅ……」
「どんな時も、『仕事はきっちり』でしょ?」
「分かった。俺が今まで言ってきた事だもんな」
「うん。後一ヶ月は草津で生活するんだし。後日曜日は、ちょっとお願いしたい事があるから」
「お願い?」
春香は、直樹と慎一郎にお願い事があるのだと言い、直樹に対してのお願いは時間と金がかかるが快く了承してくれた。
直樹が帰宅した後、赤ん坊は新生児室に行き、春香は里美の手を借りて病室へ戻った。
「お母さん。傍にいてくれて心強かったよ。ありがとう」
「ふふふ。何年医者をやってると思ってるの?」
「そうだね。格好良いお母さんが見られて嬉しかったぁ〜」
「そう?」
春香はゆっくりとベッドに上がり、里美は椅子に腰かけて、雄太の写真と理保からもらった御守りと健人からもらった御守りをベッドサイドのテレビ台に置いた。
「このピンクの御守りね、健人くんって言う小学生の男の子にもらったんだよ」
「小学生の?」
「うん。雄太くんに憧れてる子なの。将来、騎手になりたいんだって」
「そうなのね。雄太くんは、春香だけでなくて、小学生の男の子にも夢を見させられる子なのね」
「うん。私、そんな雄太くんが格好良いって思うし、大好きなんだぁ〜」
春香は体を横たえながら、写真を見詰めた。
「そんな大好きな人の子供を授かって、無事出産出来たんですもんね。雄太くん、喜ぶわよ」
「えへへ。でも、居ない時に産まれた事を残念がるだろうな」
「立会出産希望してたものね」
残念に思うだろうけれど、騎手と言う仕事をしている以上仕方がない。
「本当は雄太くんに傍にいて欲しかったけど、雄太くんの仕事を分かっていて結婚したんだもん」
「そうね。春香、ちゃんと騎手の妻してるわよ?」
「うん。騎手の雄太くんも大好きだから」
出産の疲れだろう。そう言った後、春香はゆっくりと目を閉じた。
(眠れる時に寝ておきなさい。直ぐ、授乳で起きなきゃいけないんだから)
スースーと寝息をたてる春香を見て、里美はニッコリと笑った。
草津にいる間は、いくらでも育児に手を貸してやれる。だが、新居が完成し、栗東に戻るとそうはいかない。
里美にも仕事がある。直樹も同じだ。新生児の世話は出来ても、家事の手伝いは完璧ではない。
(なるべく新居に顔を出してやりたいけど、春香が甘えてくれるかしら? この子、ギリギリまで助けを求めない子だから)
頑張り屋なのは良いとは思うが、頑張り過ぎる処があるのは、里美だけでなく、雄太も直樹も分かっている。
(私の勤務がない日にでも、直樹に店を任せて行くしかないわね。お節介は好きじゃないけど、睡眠は確保してやりたいし)
G1をいくつも獲り、それに相応しい大きな家を建てている雄太。
『他の騎手にも頑張ろうと言う気にさせる為には、目標にさせる象徴みたいな物が必要なんですよ』
慎一郎が言っていた言葉を思い出す。
見に行った大きな家は、掃除だけでも大変そうだと思いながら、里美も仮眠を取った。




