394話
汗を滲ませ、痛みに堪えている姿を見ている慎一郎は、春香に庇われた時の事を思い出した。
(儂は、無力だな……。この子が儂の代わりに傷付いた時も、今も何もしてやれん……)
「子宮口の確認をします。男性の方は廊下の方へ」
看護師に言われ、直樹と慎一郎は廊下へと出た。
「こう言う時、男親は無力ですね」
「え? あ……はい」
長椅子に腰掛けた直樹に言われ、慎一郎は頷いた。
「えっと……奥様は随分と落ち着いてらっしゃるようですが……」
「え? ああ、里美は医師免許を持っていて、現役の医者です」
「そうでしたか。てっきり、マッサージの方だとばかり」
「俺も里美も、ここの非常勤の医者です。交代で勤務してるんですよ。俺は、整形外科医として勤務していたんですが、病院だと患者の治療に限界があると思ってしまって……。当時、恋人関係だった里美に話したら同じように思ってくれて。なら、根本的な治療が出来るにはどうするかと話し合って、マッサージの店を始めたんです」
直樹は兄の重幸や父に、病院を継がないと言いマッサージ店をやる事にしたが、湿布等も医療行為とされていた為に非常勤の医師として、勤務をしながら開業をした。
結婚をすると決めた時、里美は退職するつもりであったが、直樹がいない時に医療行為をしなければならない事を考え、今も医師として勤務している。
「春香さんは、そんなお二人の背中を見て育った訳ですか……。道理で頑張り屋ですな」
「元々、一生懸命な子でしたから」
スッとドアが開いて、理保が顔を出した。
「分娩室に移動するようですよ」
「ああ。もうそんなにですか」
直樹は立ち上がり、分娩準備室を覗く。中では、春香がタオルで汗を拭っていた。
「春、頑張れよ」
「春香さん、頑張ってくれ」
「はい……。頑張ります」
直樹と慎一郎に声をかけられ、春香は笑いながら答えた。
ゆっくりと里美の手を借りて春香はベッドから降りる。
直樹達に、もう一度笑いかけると、春香と里美と理保は分娩室に入った。
「とりあえず……待ちますか……」
「後は、無事を祈るだけ……ですな」
「ええ」
直樹、慎一郎は廊下の長椅子へ腰掛けた。
ドア越しに、苦しそうな春香の声が聞こえてくる。
「ううっ‼ はぁっ‼」
(春……頑張れっ‼)
母子の無事を祈りながら待つしかなかった。
絶え間なく押し寄せる痛みに、言葉すら上手く発せられなくなっていた。
(腰が……取れそう……。雄太……くん……)
「春香、もう頭が見えてきてるわ。落ち着いて呼吸するのよ?」
「春香さん、大丈夫よ」
「うぅ……」
里美が汗を拭ってくれる。理保は、落ちそうになるカードケースを胸元に置いてくれる。
「皆が、待ってくれているわ。大丈夫。雄太も一緒よ」
(雄太くん……。雄太くん……。頑張るよ……。あなたとの……大切な……あなたの……)
『春香。春香、大好きだ』
雄太の笑顔と声が力をくれる気がする。
(雄太くん……)
「次に陣痛がきたら、いきんでくださいね?」
「は……い……。あぁっ‼」
「フヤァ……フヤァ……」
まだかまだかと何度も時計を見ていた直樹と慎一郎の耳に、分娩室から微かな声が聞こえた。
「「う……産まれたっ⁉」」
直樹と慎一郎は立ち上がり、分娩室の方を見詰める。
「い……今のは……」
「産声……でしたな……?」
ドキドキとしながら、ジッと見ていた分娩室のドアが開いて、里美が顔を出した。
「無事、産まれたわ。元気な元気な男の子よ」
「男の子……」
里美の言葉に慎一郎は呟き、直樹はヘナヘナと床に座り込んだ。
「もう、直樹ったら。しっかりしてよね、お爺ちゃん」
「あは……あはは……。力が……抜けて……」
「今、縫合してますから。もう少し待っててください」
里美に言われ、慎一郎は頷いた。その目には光るものがあった。
1989年12月23日
鷹羽雄太と春香の第一子である元気な男の子が誕生した。




