392話
病院に着くと、重幸はしっかりと医師の顔をして待っていてくれた。
「おじさん……。おじさんは外科医でしょう……? 私は出産だよ?」
「そんなのは関係ないぞ? 俺は、副医院長としてここにいる。俺が黙って家にいると思ったか?」
さすがに直樹も呆れた顔で溜め息を吐く。
「公私混同し過ぎだよ、兄さん……」
「お前な、親父をとめてきただけでもありがたいと思えよ?」
「親父までか……」
直樹の父は、医院長である。それなりの歳ではあるが、まだまだ元気で外科医としては現役であり、重幸と同様で春香を可愛がっているのだ。
「昼間、オペがあったから疲れてるっ言ってたのに、ひ孫の誕生に立ち会わないとか有り得んっ‼ とか言ってたんだぞ? お袋には申し訳ないが、親父を押し付けて出てきた」
「全く……。あの親父は……」
「だろ?」
自分達も春香を猫可愛がりしているのを棚に上げて、直樹と重幸は溜め息を吐く。里美は苦笑いを浮かべていた。
春香が重幸を伴い検査を受けに診察室に行き、直樹と里美は椅子に腰かけて待っていた。
「いい感じに進んでるぞ。じゃあ、病室に行くか。春香、今は大丈夫か?」
「うん。さっききたばかりだから」
「そうだな」
副医院長が自ら病室に案内しなくてもと言われそうであるが、重幸はお構いなしに歩き出す。
その行き先を察した春香が重幸を見上げる。
「おじさん……。まさかとは思うけどぉ……」
「ん? 当たり前だろ? 春香の旦那や他の騎手が見舞いにきたら、普通の病室じゃ他の患者に迷惑かかるからな」
「あ……うん。そうなっちゃうかぁ……」
重幸が春香達を連れて向かって行ったのは特別室。雄太だけならまだしも、梅野が病室に現れたらどうなるか想像すると、重幸の提案を受け入れるしかないかと春香は思った。
春香は上手く言いくるめられたが、実際はどんな些細な病気であっても特別室を使わせるのを直樹達は知っている。
『副医院長の体面を保ちたいなら、頻繁に春の病室にこなきゃ良いだろう?』
何度直樹に言われても、重幸の春香への特別扱いは直らない。職権乱用を地で行く重幸だが、腕は確かなのと人徳もあるので仕方ないと許されている。
「もう少し陣痛が進むまでここでノンビリしてろよ? 何なら寝てても良い。今夜は寝てらんないと思うからな?」
「うん。おじさん、ありがとう」
「じゃあ、一旦戻るから、何かあったら言うんだぞ?」
「うん」
重幸は春香の頭を撫でると副医院長室へ戻った。
荷物を置いて、着替え等を備え付けのクローゼットにしまい、洗面用具等を置く。ベッドの横にあるテレビ台の上に雄太と撮った写真を立てかける。
(雄太くん……)
もうそろそろ、雄太は寝る準備をしているだろうかと思いながら、そっと写真を撫でる。
「出産で特別室なんて贅沢だよね」
「確かにそうだけど、仕方ないわ。梅野くんがきたら大騒ぎになるだろうし」
里美も梅野がきた時の心配をしているようだった。最近は純也もファンが増えたから、やはり特別室が正解なのだろう。
「まぁ、ゆっくり出来ると思って、兄さんの職権乱用を受け入れよう」
「うん。ん……くっ」
陣痛がきた春香がベッドに手をついてこらえる。里美は腕時計を見て時間を計る。
「ふぅ……」
「ほんの少し早くなってるわね」
「うん。お父さんとお母さんがいてくれる時間で良かったな」
「どうしてだ?」
「お店開けてる時間だと、色々大変じゃない」
「そうね。まぁ、事が出産なんだし、直樹はお留守番だったわね」
里美が笑いながら言うと、直樹は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうなんだけど……。はっきり言われるとグッとくる物があるな」
「ふふふ。きっとこの子はお爺ちゃん思いで、お店が終わる時間を待っててくれたんだよ」
「お? そうだな。ジィジ思いの良い子だな」
既に孫馬鹿な直樹はニコニコと笑いながらゆったりとしたソファーに座る。
里美も春香も、まだ余裕があり笑って話していた。




