367話
「雄太くん。おかえりなさい」
(春香ぁ……)
玄関を開けた雄太は、春香を思いっきり抱き締めた。愛おしい気持ちが湧き上がり、ただ黙って抱き締め続けた。
「お疲れ様。無事帰ってきてくれて、ありがとう」
春香がポンポンと背中を叩いて労をねぎらってくれる。
(ありがとう……。本当にありがとう、春香……。俺の夢は春香の夢だって言われたけど、正直言って海外で乗りたいってのは、俺の我が儘なんだ。それを突き通させてくれてありがとう……。妊娠中なのに笑顔で送り出してくれてありがとう……)
しばらくして腕を緩めた雄太は、ニコニコと笑っている春香にキスをする。
「ただいま。春香の顔を見たら、疲れ吹っ飛んだよ」
「えへへ。ご飯用意してあるよ。雄太くんの好きな物ばっかりだよ」
「ああ。久し振りの春香の飯だぁ〜」
荷物の整理も、何もかも後回しにして、春香の料理を存分に味わった。
「やっぱり、春香の作った飯が良いなぁ……。俺、涙出そうだよ」
「大袈裟だよぉ〜」
照れ笑いを浮かべる春香を見ていると、雄太は幸せな気持ちになる。
「本当だって」
「そう言ってもらえるのが、一番嬉しいな」
「新居の事も、結婚式の事も任せっきりにして、海外に行かせてもらって、本当に感謝してるんだ」
雄太が海外に行っている間にも、新居の進捗確認や結婚式の打ち合わせがあった。春香は一人でこなしていたのだ。
妊娠中の春香に任せていた事も雄太の懸念事項ではあった。
「雄太くんは、お仕事だったんだから気にしないでね? 遊んでた訳じゃないんだし」
「ああ。でも、ありがとうは言わせてくれよな?」
「うん。あ、お風呂終わったらサインしてね?」
「へ? 何の?」
重賞を獲った時にサインはしていたが、今回は何のサインなんだろうかと思ってしまった。
「雄太くんの海外初騎乗記念」
春香が当然だと言わんばかりの笑顔で答えた。
「雄太くんは、負けたのにって思うかも知れないけど……」
「負ける事からも得られる経験もある……だったよな」
「え? 雄太くん、覚えてたの……?」
雄太は笑って頷いた。
「春香が、初騎乗で勝てなかった俺に贈ってくれた言葉だからな。俺さ、負けた時には、いつも思い出してるんだ。負けても腐らずに進んでこられたのは、春香からの言葉のおかげもあったんだ。ありがとうな」
春香には言ってなかったが、春香からもらった手紙は、雄太の宝物として大切に保管してある。
負けが続いたりして凹みそうな時は読み返していた。
「負けたからこそ、俺は成長出来てきたんだって思ってる。勝って勝って勝ちまくって、負ける悔しさも知らずにいたら努力しなくなるって、春香が教えてくれたんだ」
雄太の騎手になると言う意志は強固ではあった。だが、負ける事を考えてはいなかった。勝ちへの執着が、若さ故の真っ直ぐさが、『負ける』と言う事を考えられずにいた。それを教えてくれたのが春香だったと雄太は思っていた。
(鈴掛さんにも散々言われてた……。だけど、実際デビューして負ける前だったから、ちゃんと考えられなかったんだよな……。俺、今回初の海外騎乗で二回目のデビューしたって感じだった。それで、また春香の言葉に助けられた……)
春香の頬に手を当てると、その手に自分の手を添えて笑ってくれている。
「念願の海外騎乗も……結果は良くなかったけど叶えられた。かなり壁は高いけど、絶対に一着獲れるまで諦めないから」
「うん。雄太くんならやれるよ。信じてる。だから……」
「ん?」
春香はニッコリと笑う。
「今日は一緒にお風呂に入って、その後、しっかりマッサージしようね」
「え? 一緒に風呂入ってくれるのか?」
「うん。お風呂入りながらもマッサージするからね」
「ああ」
食事の後、トランクの中の荷物を片付けながら洗濯をし、一緒に風呂に入った雄太は、背中を流してもらい、マッサージをしてもらった。
風呂から出てからもマッサージをしてもらい、そのまま爆睡した雄太だった。




