366話
(雄太くん、どうしてるかな? もう、アメリカには着いてるよね?)
春香は何度も時計を見る。時差があるからと、計算をしてアメリカの時間を知りソファーに腰かける。
気にしても仕方がないのだけれど、やはり気になってしまう。
「駄目だ。私は、子供の事を考えなきゃ。生活リズムは崩しちゃ駄目」
アメリカに着いたら、馬主や現地の調教師に会ったり、馬を見に行ったりしているだろうと考え、一先ず落ち着こうと考えた。
(時差ボケで体調崩さないでね……)
色々考えていると、また自分がアメリカに行こうとしていた事を思い出した。
(もし、私がアメリカに行っていたら、雄太くんはこんな風に思ってくれてたんだろうな……。本当に酷い事をしようとしてたな。直ぐに私の事を忘れるんだろうなとか想像して……)
深い溜め息を吐いて、雄太の写真を撫でる。
「雄太くんが帰ってきたら、思いっきりマッサージして、大好きっていっぱい言おう……」
雄太は、アメリカに着いてから癖になったかのような深い溜め息を吐いていた。
(分かってたけど、アメリカと日本は全然違うよな……)
日本ではそれなりに評価はされてはいたけれど、アメリカでは全く知られてもいないのもあり扱いは雑だった。
日本人は若く見える上に童顔な雄太は、完璧に子供扱いされていた。
(仕方ないよな。今まで日本人騎手が評価された事はなかったんだし……。もし勝っても『馬が良かっただけ』と言われるのは覚悟してるさ。だけど、俺は絶対に諦めながら馬には乗らない)
雄太は、キッと顔を上げて空を見上げた。周りの景色や飛び交う言葉は違っても空は同じように見える。
(いつか春香と子供を連れてこられるように、精一杯頑張らなきゃな。場所がどこであろうと実績がものを言うのは変わらないはずだ)
8月31日
(どうしよう……。ドキドキしてきちゃった)
雄太のレースが始まるであろう時間になった。日本ほど時間に正確ではないと言われたから、春香はずっとソファーに座り祈り続けていた。
(雄太くん……。頑張ってね……。無事に帰ってきてね……)
ドキドキしながら、無事レースを終えてくれるのを待った。
何度も何度も繰り返し深呼吸をして、ゲートの向こうを見詰める。
(場所が変わっても、俺は俺のやるべき事をやるだけだ。それは馬が変わっても一緒だ。落ち着いて、チャンスを掴むぞ)
ゲートが開いて、雄太はタイミング良く飛び出した。
ソファーでタオルケットにくるまって、春香はウトウトしていた。
「ん……? あっ‼」
電話の着信音が眠りを覚ました。子機を取ると少し間があった。
「も……もしもし」
『春香』
聞きたかった大好きな声が耳に届いた。レースを終えたら国際電話をすると約束していてくれたからだ。
「雄太くん。雄太くんだぁ……」
『体調はどうだ? 変わりはない?』
「うん。雄太くんは?」
『俺は大丈夫だよ。えっと……レースは無事終わったよ。……七着……だった……』
不甲斐ない結果に、上手く言葉が出ない感じの雄太に胸が詰まる。
「雄太くん……」
『え? あ……えっと……』
「次があるよ。ね?」
『……そうだな。これっきりじゃない。絶対、またアメリカで乗るよ。絶対とは言えないけど、次は満足行く結果を残せるように頑張るから』
少し明るくなった雄太の声にホッとする。
(傍にいて思いっきり抱き締めてあげたい……。精一杯頑張った雄太くんを……)
離れている事がもどかしい。手を伸ばしても触れられないのが悲しい。
春香の胸に切なさが込み上げる。
『春香……。本当にありがとう。俺の夢を一緒に叶えていってくれて』
「ありがとうは、私が言わなきゃ駄目な言葉だよ。ありがとう、雄太くん。大好き」
『俺も大好きだ』
雄太の海外初騎乗は、雄太的に満足が出来る結果ではなかった。
だが、また必ずアメリカで走ると決意を固め、雄太はアメリカを後にした。




