355話
宝塚記念の祝勝会で、雄太は春香の妊娠を発表した。
春香繋がりで妊娠を伝えられてなかった人達がいたからだ。
「そんな訳で、今日は妻は来ておりません。皆様には、妻からの伝言をあちらに掲示しておきましたので、良かったらご覧ください」
雄太はペコリと頭を下げた。大きな拍手と歓声がわいた。
トレセンのマッサージの一時中止と同じように、妊娠の報告と予定日などが書かれているA5用紙の前には、たくさんの人がいた。
雄太にも『おめでとう』の言葉がかけられたが、年配の人達は慎一郎と盛り上がっている。
「慎一郎調教師もお祖父ちゃんですか。おめでとうございます」
「いやぁ、孫ってのはこんなにも嬉しいものだと思わなかったな」
「お孫さんが騎手になったら楽しみですな」
「ははは。息子と孫が同じレースに出るとなったら儂は迷わず孫を応援するぞ?」
たくさんの人達から『お祖父ちゃん』と呼ばれている慎一郎はご満悦だ。
「おっちゃん、メチャデレまくってるな」
「だろ? まだ産まれてもいないのに呆れるぐらい孫馬鹿なんだぞ?」
純也はデカいローストチキンにかぶりつきながら、デレデレしている慎一郎を見て苦笑いを浮かべている。
「おっちゃん、孫に金に糸目つけなさそうだよなぁ……」
「大丈夫だ。妊娠報告しに行った時に釘刺しておいたからな」
「へ? 何て言ったんだよ?」
「『やたらめったら金を使ったら、孫にも春香にも会わせねぇぞ』って」
純也が吹き出しゲラゲラ笑う。
「それ、メチャ効くだろ」
「父さんも母さんも、孫に会わせてもらえなくなるのも、時たま春香が差し入れしてるオカズが食べられなくなるのも、マッサージしてもらえなくなるのも嫌だって言ってたからな」
妊娠が分かってからは、タッパーに入れたオカズを雄太が実家に持っていく事にしていた。
坂を登らなくてはならない鷹羽家に春香を行かせたくないから、渋々ではあるが一人でいく事にしたのだ。
「雄太ぁ〜」
「あ、梅野さん」
宝塚記念で雄太に勝てなかった梅野は、肩近くまで伸ばしていた髪を短く切っていた。
それが、『男らしくて格好良い』とか『イケメン度が更に増した』などと女性ファンは大騒ぎしていたが、トレセン関係者の間では、雄太に勝てなかったからではと噂されていた。
「雄太ぁ〜。ちょっと聞いてくれよぉ〜。また、言われたんだぜぇ〜」
「ははは。梅野さん、タイミングが悪過ぎたんですよ」
「そうっすよ。宝塚記念終わって直ぐ髪をバッサリ切ったら噂になりますって」
ファンからのウケは良かったが、髪が短いのは嫌らしく、帽子で隠したいと本人は言っている。
「俺は切りたくなかったんだってのぉ〜。あの新米美容師が、バサッと切りやがった時は青ざめたぞぉ〜」
「でも、切った美容師って若くて可愛い女の子だったんでしょ?」
「純也、それとこれは別なんだぞぉ〜? 何とか誤魔化してもらったけどさぁ〜。早く伸びてもらわないと、ストレスで胃に穴開きそうだぁ〜」
そこに鈴掛が近寄ってきて、梅野の頭をガシッと掴んだ。
「何なら、競馬学校時代のように丸坊主にしてやろうか? ん?」
「やめてください〜。髪は男の命ですぅ〜」
雄太と純也がゲラゲラと笑い、鈴掛と梅野がじゃれ合っている、いつもの仲が良い四人の姿に、噂を聞いた事のある者達も『噂は噂』『噂は間違っていた』と思った。
「梅野さんは、スケベだから直ぐ伸びるんじゃないっすか?」
「純也ぁ〜。お前、何て事を言うんだよぉ〜」
「お? 純也、お前よく分かってるじゃないか」
「鈴掛さん〜。酷いですよぉ〜」
子供のようにじゃれ合う四人だが、全国と関西リーディング上位者が揃っているのだ。
純也は、まだG1制覇こそしていないが、G1に出場すら出来ていない先輩騎手もいるのだから、優秀な若手である。
皆、厩舎と馬主の期待を背負った四人を微笑ましく見ていた。
翌日、新聞には『鷹羽雄太騎手年末パパに』と言う記事が出て、世間を賑わせた。




