353話
6月11日(日曜日)
阪神競馬場 10R 第30回宝塚記念 G1 15:35発走 芝2200m
雄太は二番人気だった。
「雄太くん、頑張ってね。一緒にパパを応援しようね」
春香はそっと腹に手を当てた。まだ膨らみもなく、たまに吐き気がある程度だが、二人の愛の結晶がここにいると分かっている。
ファンファーレが響き、ゲートインが完了すると高まる緊張感。
ゲートが開き、雄太は先頭集団四番手に付けた。
スタンド前を通過した雄太は、三番手に順位を上げていた。
「ねぇ、あなたのパパは凄い人なんだよ。まだまだ若いって言われる歳なのに、たくさんの人を魅力してやまないの。でね、私が大好きな人なんだよ」
腹の中の子供に伝わるのかは分からないが、そっと声をかける。
視線は雄太に釘付けになりながら、腹をそっと撫で続ける。
「雄太くんっ‼ 頑張ってっ‼」
三番手のまま向正面を過ぎ、3コーナーを過ぎ4コーナーまでくる。
4コーナーを過ぎ、直線に入った。雄太が先頭に躍り出た。
そのまま独走するかに見えたのだが、後続馬の一頭がグングンと加速をして迫ってきた。
「あ……あれは……梅野さんだ」
梅野がいつも着けている赤い手袋をした手が鞭をふるう。
「後少しっ‼ 後少し頑張ってっ‼」
あまり興奮し過ぎないようにと言われたが、雄太の騎乗を見て、押さえられる訳がなかった。しかも、G1なのだ。
手にしているポンポンを握り締める。
「頑張ってっ‼」
追い抜かせまいとする雄太と絶対に差すと気合いの入った梅野の攻防はゴール板を駆け抜けるまで続いた。
「どっち……? 雄太くんと梅野さん……、どっちが一着なの……?」
何度もスローモーションが映る画面を見詰める。
掲示板には『写』の文字があり、確定の表示はされていなかった。
「雄太くん……だよね? 雄太くんが一着に見えたよ……?」
ようやく掲示板に確定の文字と雄太が一着と表示された。
「やったぁ〜。雄太くんが一着だぁ〜」
腹に手を当てて、二人で喜びを分かち合う。
「パパが優勝したよ。良かったね〜。格好良いパパで嬉しいよね」
ウィニングランをしている雄太の姿をジッと見詰める。
雄太の優勝をした姿は何度見ても胸が熱くなる。涙が浮かび、画面が歪む。
(嬉しい……。本当に嬉しい……。雄太くん、大好き)
競馬が胎教に良いかどうかさておき、動物が好きな子供に育つだろうと、雄太も春香も考えていた。
無理矢理騎手の道に進むようにする事はないと決めたが、馬が近くにいる生活をすれば、馬に親しみを持ってくれるだろうとは思っている。
子供が大学など、雄太と違う道に進みたいと言った時の為に、しっかり貯金をしようと考えていた。
「今日は阪神競馬場だし、帰ってくるの早いよね。夕飯、何にしようかな?」
雄太の勝利者インタビューを見終わり、テレビ中継も終わった。テレビを消して、ホットミルクを飲んでいたカップを手に立ち上がる。
カップをキッチンに置いた後、ふと思い出して、買い溜めしてある色紙を出した。
「えへへ。またサインしてもらわなきゃ」
春香の『鷹羽雄太重賞記念サイン』のコレクションが、また一枚増える事になった。
「これも、新しい家のコレクションルームに飾らなきゃね。雄太くんは競馬バカだって自分の事を言うけど、私は雄太くんバカかも」
そう思うと自然と笑顔が溢れる。初めてサインをもらった時と同じように。
「さてと、お祝いの準備しなきゃね。体の事を考えたら祝勝会はお留守番だし、二人っきりのお祝いだぁ〜。あ、三人だね。あなたが産まれたら教えてあげるよ。パパが優勝したらお祝いするのが我が家のルールだって」
買い物に行けない春香は、馴染みの寿司屋に電話をし、量は少な目で豪華な寿司を注文した。
『おう。バッチリ届けるからな』
寿司屋の大将も嬉しそうで、雄太の帰りが待ち遠しかった。




