349話
「皆さん、そんな風に言ってくださってたんだぁ……。マッサージ出来なくなっちゃったのに……。嬉しいなぁ〜」
「ああ。体を大事にして元気な赤ちゃん産んでくださいってさ」
「たくさんの人達に待ち望まれてるこの子は幸せだね。赤ちゃんが外に出られる時期になったら、トレセンに連れて行きたいな」
散歩がてらベビーカーを押して訪れたら、きっと皆が笑顔で迎えてくれるだろう。その日が待ち遠しい。
「あ、下川さんにも会ったんだ。喜んでくれてたよ」
「下川さんに? 最近、調子良いみたいだね」
「ああ。またG2の騎乗依頼をもらったって言ってたぞ」
「そっかぁ〜。頑張って欲しいな」
少しずつではあるが低迷期から脱出しつつある下川を雄太も嬉しく思っていた。
春香が関わったからだけじゃない。良いライバルは多い方がやる気が出るのだ。
「あ、そうだ。安定期まではトレセン前の道は散歩禁止な?」
「うん。あ、雄太くんの怪我した所だし……」
「う……」
結婚してから、初めて二人で散歩に出かけた時に、雄太が捻挫をした現場に行った。改めて見ると、本当に僅かな段差だった。
「あれは、段差でって言うより雪で滑ったのかなぁ〜?」
「かもな。段差があってバランス崩して滑ったのかもな。だから、禁止だぞ?」
「うん。分かった」
そう言って、春香は腹に手を当てた。まだ妊婦とは思われないが、確実にお腹の中に小さな命が宿っている。大切に大切に想う最愛の男性の子供。
「そう言えば、春香は最初に吐き気がした時、妊娠かも知れないって思わなかったんだよな?」
「え? あ〜。私、生理周期が安定してないから、今月も遅いなぁ〜ぐらいにしか思ってなかったんだよね。それに悪阻って、もっと酷いものだって思ってたの」
鈴掛が妊娠ではないのかと訊ねるぐらいだったのに、春香自身が気付いていなかったのだから、雄太の疑問はもっともである。
「それとね……。今だから言える事なんだけど……」
「ん?」
「えっと……ね。結婚が決まってから、お母さんに言われた事があるの。雄太くんには言えてなかった事なんだけど……」
春香は少し切なそうな顔をする。驚いた雄太は、春香の顔を見詰めた。
「私、成長期にちゃんとご飯食べられない生活してたでしょ? でね、体がって言うか子宮がちゃんと成長出来てるか不安だって言われたの。実際、初潮も遅かったし……。お母さんが妊娠し難いんじゃないかって気にしてて……」
「そうだったのか……」
里美が話した内容で、春香は一人で不安な思いを抱えていただろうと思った雄太は、春香の手をギュッと握る。
直樹は精神的な面を心配していた。里美は肉体面を気にかけていた。愛情深い二人が春香の養父母であった事に雄太は感謝する。
「その話、言ってくれても良かったんだぞ?」
「ごめんね。何度か話そうと思ってたんだけど、やっぱり言いづらくて。もし、半年ぐらい経っても子供が出来なかったら、病院で検査してもらった方が良いかなって思ってたの。私、また逃げてたのかも知れないね」
「春香……」
そっと雄太に体をあずけた春香は、握られた大好きな手を握り返す。
「でもね、いつでも良いって言ったけど、早く赤ちゃん欲しいなって思ってたのは本当だよ? 大好きな雄太くんの赤ちゃんだしね」
「俺もだぞ? 一般的には早いって思われるかも知れない歳だけど、早く結婚したかったし、子供も出来るだけ早く欲しかったんだ」
二人の胸の内に不安や迷いがあったのはお互いに薄々感じていた。ただ、前を向く気持ちの方が大きかった。
支え合い寄り添って歩ける。簡単なようで、実際は難しいかも知れない。
それでも雄太は春香を必要とし、春香も雄太を必要としていた。
「雄太くんが本当に欲しいって思っててくれたから、赤ちゃん来てくれたのかもね」
「それは春香もだろ?」
「うん。」
雄太がそっと春香の腹に手をあてる。まだ膨らんできている訳ではないがここに二人の子供がいるのだと言う事実が嬉しかった。




