342話
オークスで雄太は二着だった。純也は初めてのG1で緊張したのか、掲示板入りは出来なかった。
「純也、良い走りだったぞ?」
「鈴掛さん……。でも、やっぱ悔しいっす」
「その悔しさを次に活かせ。雄太だって、しょっぱちからG1獲れた訳じゃなかったんだからな?」
「うっす……」
悔し涙を浮かべる純也の背中をポンポンと叩いているのを雄太は少し離れて見ていた。
雄太から見て、純也のコース取りや負けまいとする気力は、今後自分と優勝争いするだろうなと思えるぐらいだった。
(鈴掛さんや梅野さんだけでなく、ソルもマジのライバルになるな。気を引き締めていかないと)
全てのレースを終えて、三人は新幹線で帰路についた。
「そう言えば、春香ちゃんは?」
「あ、そうだ。春さん来てたんなら、帰りは一緒で良かったろ?」
「今回は家で応援してくれてて」
目敏い鈴掛は、窓側に座った雄太をジッと見た。
(まさか……バレてないよな……?)
春香が仕事をしていた頃と違って、今は毎週競馬場に来ていてもおかしくない。
特にG1は現地で応援したいと言っていた春香が来ていない事が、鈴掛には疑問だった。
「夫婦喧嘩でもしたのか?」
「雄太と春さんでもそんな事あるのかよ?」
「いやいや、違いますよ。そりゃ、咎めたりする事はありますけど。今まで喧嘩らしい喧嘩なんてした事ないですから」
自分でそう言って雄太はふと気付いた。
(あれ……? 俺、マジで春香と喧嘩した事ないな……。付き合うってなった時、春香を煽って本音を聞き出したのは喧嘩じゃないし……。拗ねたり、ヤキモチ妬いたりはあるけど……)
春香が怒りの表情を浮かべるシーンは幾度もあった。全て雄太絡みであり、春香自身の事で怒った処を見た事がなかった。
直樹達から聞いたのは、実親達との事では冷静にビシッと言うだけだったとの事。
(春香って俺の事でしか怒ってないんだよな……。それって良いのかな?)
「雄太、隠さずに言え。何があった?」
鈴掛の声に雄太は顔を上げた。
用事があると言っても、春香が雄太のG1出場より大事な事がある訳がないと言われるだろう。
直樹や里美に何かあったと言う事にしても、口裏合わせをしていないから、直ぐにバレそうだと思った。
「えっと……ですね……」
元々、嘘が上手くない雄太は、素直に話す事にした。
「さっき電話してたのは、そう言う理由だったのか」
「で? 春さん大丈夫なのか?」
「金曜日に俺が出かけた後から一度も吐き気もなくて、すこぶる元気だったって」
雄太の答えに、純也も鈴掛もホッと息を吐いた。
「なら良いけど……。春さん、お前の女性ファンに妬いて、ストレスが胃に来てんじゃねぇの?」
「それは俺も考えたんだよ。もし、そうだとしても、春香は言わないだろうなって思ってさ」
「そりゃあ……な。騎手って人気商売と言えばそうだしさ。雄太は芸能人じゃないのにってよく言ってたけど、テレビの仕事もあるしな」
「ああ……」
あまり好きではないが、実際テレビの仕事もある。雑誌での対談の仕事などもあり、今まであまり騎手がしてこなかった仕事があるのは確かだ。
一般メディアでの仕事が増える事で、競馬に興味を持ってもらえるのは嬉しい事ではあったが、春香と一緒に過ごす時間が減り淋しい思いをさせていると言う自覚もある。
「なぁ、雄太」
「あ、はい」
「もしかして……ってのも変だな。お前達は夫婦なんだし」
「へ?」
雄太は鈴掛が何が言いたいのか分からずに、ジッと見た。
「春香ちゃん、妊娠してんじゃないのか?」
「に……に……に……妊娠っ⁉」
鈴掛の言葉に慌てている雄太に純也が冷静に言う。
「けど、妊娠って女の人なら分かるんじゃねぇの?」
「そ……そうだよな? テレビでしか見た事はないけど、悪阻はもっと苦しそうで連続してた感じだし……」
もしかしてと思う気持ちでいっぱいになった雄太は『早く京都に着いてくれ』と思い続けていた。




