340話
翌日、目を覚ました時には、隣で寝ていた春香の姿がなかった。
(ん? あれ? 春香……? 居ない……)
シーツに触れてみても温もりがない事から、それなりに前にベッドから出たのだと判断出来る。
(もしかして、また吐いてるっ⁉ 倒れたりしてないかっ⁉)
慌ててベッドから飛び起きて寝室のドアを開けて階下に走った。
階段を降りて行くとカチャカチャと皿の音がしている事に気付く。
(え? もしかして……?)
リビングのドアを開けてキッチンの方を見ると、春香が立っていた。雄太が入って来た事に気付いた春香が振り返る。
「は……春香」
「雄太くん。おはよう」
安堵したからか、少し力が抜けてしまったが、傍に立って顔色を見てみる。
「顔色は戻ってるな。吐き気は?」
「もうないよ。何だったんだろうねぇ〜?」
「それは、俺のセリフだぞ? とりあえず病院行くか?」
「ん? 大丈夫だよ」
「そう……か?」
本人が大丈夫だと言うのに首に縄をかけて引っ張って行く訳にも行かないと考え、とりあえず洗面所に向かって顔を洗った。
(ん〜。一日様子をみるか……。でもなぁ……。吐き気だろ? どうしたら良いのかなぁ……。原因が分からないのが心配なんだよな)
鏡の中の自分を見ながら、考え込んでしまった。
「もしかしたら疲れからの体調不良なのかな? 最近、忙しい日が続いてたし……。ん? ま……まさか、女性ファンにヤキモチ妬いてストレス……とかっ⁉ 前にストレスから胃潰瘍になったとか誰か言ってたよなっ⁉」
胃潰瘍は重病なのではないかと思い、乱暴にタオルで顔を拭うと走ってリビングに戻った。
戻ったのは良いが『ヤキモチ妬いてストレス感じてるのか?』とは訊き難い。
「ん? どうしたの? そんなに慌てて」
「え……っと……」
「うん。なぁに?」
春香がコンロの火を止め、雄太の顔をジッと見る。
(駄目だ……。言えない……)
「おはよう、春香」
そう言って誤魔化すように抱き締めた。一瞬、目が真ん丸になった春香だが、雄太の背中に腕を回す。
「おはよう。昨日は心配かけてごめんね」
「気にしなくても良いから。今日は予定もないし、ゆっくりしような?」
「え? 今日は天皇賞の祝勝会だよ?」
「へ? ……あぁ〜っ‼」
自分で決めた日付けをすっかり忘れていた事に気付いた雄太は焦った。
「今っ‼ 今、何時っ⁉」
「まだ六時半過ぎた処だよ。落ち着いて」
「あ……。焦ったぁ……」
ホッとして、もう一度春香をしっかり抱き締めた。
「今日は……」
「スーツは準備してあるからね。ネクタイはね……」
「ストップっ‼」
「どうしたの?」
春香が何事かと言う風に、雄太を見上げる。
「昨日の今日だぞ? 春香は家に……」
「ヤダ」
「え……」
「せっかく雄太くんが初めて天皇賞獲れた祝勝会なのに、お留守番なんて絶対に嫌だからね」
頬を膨らませて、完璧に拗ねた様子の春香をどう説得するか考える。
「でもな。途中で吐きそうになったら困るだろ?」
「もう大丈夫だもん」
「でも……な?」
「ちょっとでも体調おかしいなって思ったら控え室で休憩するから。お願い」
上目使いプラス潤んだ目で見られたらNOとは言えなくなってしまった。
「……分かった。絶対に無理しないって約束守れるか?」
「うん」
雄太は祝勝会中、春香をしっかり見張っておかねばならないと思った。
雄太は軽く朝食をとり、春香は昨日雄太が作った残りの雑炊を食べる。
(うん……。食欲も戻ってるっぽいよな……。本当に一時的な吐き気だったのかな? でも、春香が俺が帰ってくるまで横になってたってのが気になる……。今までそんな事なかったし……)
「ごちそうさま。雄太くんがお料理出来るようになってくれて助かっちゃった」
「料理って言って良い物かどうかは微妙だけどな」
「何にも出来なかったんだし進歩だよ」
「ははは」
二人は着替えると祝勝会の会場のホテルに向かった。




