332話
4月9日(日曜日)
阪神競馬場に春香はいた。
(雄太くん、頑張ってね)
祈る気持ちでいたのは関係者席ではなく一般席。大勢の観客と共に、桜花賞の発走をワクワクしながら待っていた。
金曜日の朝
「え? 何で?」
「だって、関係者席でおっきな声出して応援するの恥ずかしいもん」
雄太は関係者席にいてもらい、一着になって一緒に記念写真に納まりたかったのだ。
「大きな声……? ちなみにさ、今までどんな風に叫んでたんだ?」
「え? な……内緒」
「そうなんだ? なら今回はどんな感じで叫ぶ予定とかあるのか訊いても良い?」
「予定は未定なの。雄太くん格好良い〜とか……あ……」
口を滑らせ真っ赤な顔でそっぽを向いた春香を思わず抱き締める。
「分かった。春香の好きにして良いよ。現地で応援してもらえるの嬉しいしさ。ただし、叫ぶのは程々にな?」
「うん」
「じゃあ、日曜日は一緒に帰ろうな」
「頑張ってね。怪我しないでね?」
「ああ」
名残惜しい思いでいっぱいになった雄太は思いっきり抱き締めて、キスをすると阪神競馬場に向かった。
阪神競馬場 10R 第49回桜花賞 G1 15:35発走 芝1600m
ファンファーレが鳴り響き、馬がゲートに入っていく。
ゲートに入るのを嫌がる馬がいて、全馬のゲートインは少し手間取っていた。その間に雄太は一つ深呼吸をする。
(大丈夫だ……。落ち着けよ?)
ポンポンと馬の首筋を叩いた。
だが、やはり多少影響を受けてしまったのか、スタートは出遅れてしまった。
「雄太くん……」
春香は小さく呟いて、両手をギュッと握り締める。
(大丈夫……。雄太くんなら大丈夫よね?)
祈りが通じたのか、咲き誇る桜が背景となっているオーロラビジョンの中、雄太は徐々に順位を上げていった。
だが、馬群に包まれた状態で3コーナーを過ぎた。4コーナー手前になり、雄太は大外へ出した。
「頑張ってっ‼」
周りの大歓声に紛れて、目一杯声を上げて声援を送る。
その声が届いたかのように、直線に向き馬群がバラけた瞬間、雄太はスッと前に出た。
「頑張って〜っ‼」
後方から追い縋る馬達を突き放すように、雄太を含めて三頭が先頭争いをしている。
ゴールが近付いてきても競り合っていた。
「雄太くんっ‼ 前に……前に行ってぇ〜っ‼ 後少しっ‼」
ゴール板の所で二頭が並んで駆け抜けた。
(どっち……? 雄太くん……だよね? 少しだけ……前に出てた気がするんだけど……)
ドキドキしながら、オーロラビジョンで流れるリプレイを見る。写真判定を示す『写』の文字をもどかしく見詰めていた。
しばらくして『確』ランプが点った。
一着の場所に表示されたのは雄太の騎乗していた馬番だった。
「キャア〜っ‼ 勝ったぁ〜っ‼」
春香はピョンピョンとジャンプをして、何度も掲示板を見た。
「おぉ〜っ‼ やったなっ‼」
「ねぇちゃんも当たったか」
「はいっ‼ 最後、格好良かったですよねっ‼」
周りの男性達と喜びを分かち合う。
雄太が再びスタンド前に姿を見せると、大歓声が場内を包み込んだ。
春香はポケットから青いリボンを取り出して、右手に持つとジャンプしながら振った。
「おめでとうっ‼ 格好良かったぁ〜っ‼」
雄太に見えたかどうかは分からない。それでも、精一杯振り続けた。
インタビューを受けている雄太の笑顔が嬉しくて涙が溢れそうになる。
(格好良い……。本当、最後までドキドキしたけど……。雄太くん、勝ってくれた……)
『二十歳になって初めてのG1勝利ですね』
『そうですね。勝てて良かったです』
『出遅れましたが、大丈夫だと思ってましたか?』
『力のある馬ですから何とかなると思ってました。良い状態に仕上げてもらってましたので、勝たないと申し訳ないと思って精一杯騎乗しました』
雄太のインタビューを聞きながら、家に帰ってからのお祝いにドキドキしていた春香だった。




