328話
「一応シャンパン用意したんだけど、どうする?」
「え? わざわざ準備してくれだんだ?」
テーブルについた雄太に、春香はおずおずと訊ねた。シャンパンは買ったが、翌日の事を考えると呑むか呑まないかは、雄太が決めるものだと思ったのだ。
「記念だし、乾杯だけでもしたいなって思ったの。明日も朝早いから形だけでもどうかなって」
「じゃあ、少しだけ呑んでみようかな」
雄太の返答を聞き、シャンパンのボトルとグラスを出してテーブルに置いた。
雄太が封を切り栓を開ける。
「これ……何て書いてあるんだ? フランス語っぽい?」
「ビルカール・サルモン・ブリュシットだよ」
「へぇ〜」
雄太がグラスに注ぎ、春香に手渡す。そして、自分の分も。
「じゃあ、二十歳になった俺の傍に居てくれてありがとう、春香」
「うん。雄太くん、お誕生日おめでとう」
グラスを上げて、雄太は少し口に含んだ。
「お? これ美味いな。梅野さんも言ってたけど、春香のチョイスは中々だな」
「えへへ。ありがとう」
照れ笑いを浮かべる春香を見詰める。
(十八歳手前で出会って、もう丸二年経ったんだもんなぁ……。早かったような……長かったような……)
何度もフラれて、春香の過去を知って……。それでも、どうしても春香が良いんだと、春香に笑顔でいて欲しいんだと想い続けたあの頃を思い出す。
泣きながら、雄太に迷惑をかけたくないから一人でアメリカに行くんだと言われたあの日。もし春香を諦めていたら、今日一緒にシャンパンを呑んでいなかったんだなと思うと胸が熱くなる。
「あ、厩舎に赤飯届けたんだって?」
「うん。厩舎の数が多いから少しずつになっちゃったけどね」
「ありがとうな。そう言う付き合いが大事だって、辰野調教師も言ってた。高価な物を贈れば騎乗依頼がもらえるとかじゃなく、気遣いなんだって」
調教師や馬主との付き合いも大切だが、下心が透けて見えるような接待は、辰野だけでなく慎一郎も嫌っている。
春香と結婚してからは、大馬主と言われる人々とも接点が出来たが、皆が揃って賄賂紛いの事はしなくても良いと言ってくれた。
雄太へ騎乗依頼を出すとしても、信頼出来るから出すんだと言う力強くありがたい言葉をかけてもらえた。
(もっともっと勝てる騎手になって、春香を喜ばせてやろう。たくさん助けてもらってんだからな)
「あ、忘れてた」
「え?」
雄太は席を立ち、二階へと行った。そして、小さな包みを手に戻って来た。
「バレンタイデーのお返しな」
「ありがとう。嬉しいなぁ〜。開けて良い?」
「良いよ」
そっと紙袋を開けるとフワッと良い香りがする。
「あ……これ……」
「そう。この前、春香が買うのを迷ってた紅茶だよ。色々あったから、春香の好きそうなのをいくつか選んで買ってきたんだ」
「ありがとう。覚えててくれだんだぁ〜」
シャンパンの所為もあってほんのりとピンクに染まった頬をして笑っている。
「明日から順番に飲んでいこうっと」
「ああ」
今の雄太の収入からすれば安い買い物だった。でも、雄太も春香も好きな物なら安くても構わないと思っている。
高くて良いものは、それで良い。欲しい物の値段は気にならないのだった。お互いそう思っているから、上手くやっていけているのだと思っている。
ささやかな誕生日パーティーを終えた二人は、一緒にベッドに潜り込んだ。
「今日は一緒に寝たいな」
「そうだな」
日曜日以外は別々に寝ていたが、今日は特別な気がして春香は、そっと雄太の手を取ったのだ。
シャンパンを少し呑み、ほんのりと温かくなったお互いの体をしっかりと抱き締める。
「来年も再来年も、ずっとずっと一緒に誕生日過ごそうな?」
「うん。雄太くん、生まれて来てくれて、私の傍にいてくれてありがとう」
「ああ。大好きだ」
「私も大好き」
生まれてくる事も奇跡。
出会えた事も奇跡。
二人は、たくさんの奇跡に感謝しながら眠りについた。




