304話
しばらく雄太につつかれまくり、グッタリとした純也は四つん這いで部屋の隅に逃げた。
「あぁ〜。もう駄目だぁ〜。酸欠になったぁ〜」
「ソルが普段、俺にやってる事だろ?」
雄太に言われて、笑い過ぎて涙目になった純也は唇を尖らせる。
「ゼッテェーやり返すからなっ⁉」
「じゃあ、そん時はまた俺が羽交い締めしてやるぜぇ〜」
「うおっ‼ 勘弁っす。ごめんなさいっす」
意気込んでやり返す宣言したが、梅野がニヤリと笑いながら言った羽交い締め宣言に敗北した純也は隅で大人しく缶コーヒーを飲みだした。
「んでさ、ゆ・う・た・くぅ〜ん。新婚生活はどうなんだよぉ〜」
梅野は雄太を見ながらニコニコと笑う。今までなら腰が引けていた雄太だがニヤリと笑った。
「そりゃもうっ‼ 最高ですって‼」
「梅野……。当たり前の事を訊くなって……。毎日、デレデレの顔して出勤して来てるの見たら分かるだろうが」
冬の早朝だと言うのに、ニコニコと幸せ溢れる笑顔で出勤して来る雄太を見ていれば、どれだけの幸せ生活か分かるとトレセン内では持ち切りだった。
「春香さんも幸せなんだろうねぇ〜」
梅野がしみじみと言うと、雄太が苦笑いを浮べた。
「だったら嬉しいですね。でも、この前春香が拗ねまくった事があったんですよ」
「え? 何? また女絡み?」
「ソルっ‼ それじゃ、俺が浮気したみたいだろっ⁉」
相変わらず言葉のチョイスが悪いと叱られる純也に、梅野がニヤリと笑いかけ近寄ろうとすると、また羽交い締めにされるかと純也の顔が引きつった。
「う……梅野さん。勘弁っすぅ〜」
怯える純也の姿に鈴掛が吹き出した。雄太に女性ファンが増えた事で、春香が妬いてモヤモヤしているのを知ってる梅野はゴロリと布団に寝転びながら訊ねた。
「で? 春香さんは何で拗ねたんだぁ〜?」
「それが自転車なんですよ」
「自転車ぁ〜?」
「何で自転車で春香ちゃんが拗ねるんだ?」
「へ? 意味分かんねぇんだけど?」
なぜ春香が自転車で拗ねるのか分からずに鈴掛達は訊ねた。
「俺が車を買う前に買った奴あるでしょ? 今通勤に使ってる奴。あれが原因なんですよ」
「あ〜。春香ちゃんに会いに行きたいからって買ったあれな。良い奴だよな?」
鈴掛は、雄太が約7kmもの道程を自転車で走って行っていた頃を思い出す。
「ええ。あれに空気入れてたら、春香がジッと見てたんで『近場に行く時用に春香の自転車買うか?』って訊いたんですよね。そしたら『私、乗れないと思う』って」
雄太が言うと鈴掛達が固まった。そして疑問を口にした。
「え? 馬に乗れたのにぃ〜?」
「馬に乗れて自転車に乗れない?」
「へ? 何でだよ?」
「春香の実親は自転車を買い与えてくれなかったそうで、一度も乗った事がないって」
子供の頃の春香の事を思い出すと三人は無言になってしまった。
「車の免許取ったら、更に乗る機会がなくなったそうで。『乗ってみたいな』って言うから近くの空き地に行って乗せてみたら、見事にすっ転んじゃって」
馬に初めて乗って走らせられた運動神経があるなら乗れると思っていた三人は驚いた。
「俺が『転びそうになったら足を付いて支えるんだよ』って言ったら『馬は自分で立ってくれるのに〜』って言って拗ねちゃって」
「え? あ……う……うん。た……確かにな」
「自分でってぇ〜。そりゃそうだけどぉ〜」
「春さんの感覚ってっ‼」
さっきまで春香の事情を知っているのだから笑えないと思っていたはずの三人は堪らず笑い転げた。
「俺も唖然としちゃったんですよね。そしたら『自転車を買うくらいなら馬を飼う』とか言い出したんですよ。それはさすがに自分でもおかしいと思ったらしくて、少し考えた後メチャ爆笑してましたよ」
雄太にしてみれば、過去の出来事絡みで春香が笑えるようになったのが嬉しかった。
鈴掛達も少しずつでも、春香が過去を笑い飛ばせる事が出来るならと安心しながらも、さすがに笑いを止められなかった。




