292話
「えっと……雄太くんは、このスーツかな。ネクタイは……これ」
春香がクローゼットを開けてスーツやネクタイを出してくれる。その後、春香の部屋に移動する。
「私は……どうしよう?」
「そうだな。入籍ってお祝い事なんだし……これは?」
雄太が指差したのは、里美が『これからは華やかなお席に出る事もあると思うから』と買ってくれた淡いピンクのワンピース。
雄太とパーティーに出たりする事もあるかと思い、花嫁道具の一つとして持って来ていた。
「うん。じゃあこれにするね」
(お母さん、さっそく着させてもらうね)
一緒に買ってもらった髪飾りを着けると初々しい新妻と言う感じがして、雄太は見惚れていた。
二人が着替えて一階に降りると、またもや電話が鳴った。雄太が駆け寄り子機を取り通話ボタンを押す。
『お、まだ居たか。良かった』
「着替えてたんだよ。春香がマスコミとかが居るならスーツの方が良いだろうって言うから」
『さすが春香さんだ』
雄太は反対しまくってたクセにと言いたくなるがグッと堪えた。
「で、何?」
『ちゃんと帰りに家に寄るんだぞ?』
「何で?」
『何でってお前なぁ……。結婚をした息子と新しく娘となった春香さんの顔を見たいだろうが……』
心底呆れたように慎一郎は言った。
「へ? そんなモンなのか?」
『やっぱり、お前には春香さんのようにしっかりした女性がついてないと駄目だな』
深い深い溜め息を吐かれ、雄太はさっさと電話を切った。
気を取り直して春香の肩を抱いた。
「行こっか」
「うん」
どうやら、慎一郎とのやり取りがツボったらしく、春香はクスクスと笑っていた。
玄関で皮靴を履いた雄太はドアを開けて、直ぐバタンと閉めた。
「どうしたの?」
春香はパンプスを履きながら雄太を見上げた。
「い……家の前に人がたくさん居る……」
「へ?」
(な……何でだ? マスコミには、まだ家はバレてないはず……)
そう思っていると声がした。
「お〜い、雄太ぁ〜。何で閉めんだよぉ〜」
「塩崎さんの声だよ?」
「ソル……?」
雄太はソォ〜っとドアを開いた。門扉の向こうには、純也達だけでなく先輩騎手達やトレセンの人達が居た。
(え? え?)
驚く雄太達に皆は拍手を贈ってくれた。住宅地と言う事もあって控え目な歓声が湧いた。
「おめでとう〜」
鍵を閉めた雄太が春香と共に門扉の外に出た。
「皆さん……。ありがとうございます」
「おめでとう、春香ちゃん」
「鈴掛さん、ありがとうございます」
「忘れ物はない〜?」
「はい、梅野さん」
「綺麗だよ、春さん」
「ん? あは。ありがとう、塩崎さん」
春香が嬉しそうに笑っている。この笑顔がずっと続くように頑張らなきゃなと雄太は思った。
「雄太。お前の守りたかった笑顔だな。本当に良い笑顔だ」
「辰野調教師……。はい。これからもずっと守ります」
「明日からは世帯主としても気合い入れなきゃならんぞ?」
「はい。頑張ります」
雄太の肩をポンと叩いたのは静川だった。
「雄太ちゃん」
「静川調教師」
「おめでとう。他の厩舎の皆も来たがってたんだが、さすがにトレセンを留守にする訳にもいかなくてな」
「いえ。調教師方が来てくださって嬉しいです」
カームが頑張ってくれたから、今日がある。静川と馬主が協力してくれたから、今日春香と入籍が出来る。
そう思うと胸がいっぱいになる。
(俺が決めたプロポーズだけど、叶えられたのは皆のおかげだよな。俺は、本当に恵まれてる)
車を出す為にゲートを開け、その前に立ち雄太と春香は皆に頭を下げた。
「ありがとうございます。こんなにたくさんの方々に見送ってもらえて嬉しいです。これからも宜しくお願い致します」
パチパチと拍手がわき、二人は車に乗り込んだ。
「ゲートは俺が閉めといてやるからな」
「頼むな、ソル」
雄太は窓から手を出して拳を合わせた。




