287話
「雄太ぁ〜。玄関先で押し倒すなよぉ〜?」
「雄太、ガッつき過ぎだぞ」
聞き慣れた声にビクリとして雄太はゆっくりと後ろを振り返り、春香は雄太の背後を覗き込んだ。
「う……梅野さん……。ソル……」
道路に停めた車の脇に二人は立ちニヤニヤと笑っていた。寮に帰る時に通らない道である事から、わざわざ寄り道をしたと分かる。
「な……何で居るんですかっ⁉ 寮は、あっちですよっ⁉」
雄太の抗議は華麗にスルーされ、純也が大きな紙袋を手に門扉に近付いた。
「市村さん」
「あ……はい」
純也に呼ばれ春香は門扉に近付いて開ける。
「これ俺と鈴掛さんと梅野さんからプレゼントっす」
「え? 私に……ですか?」
春香が紙袋を受け取ると純也は顔を近付け小さな声で
「今夜、これ着てくださいっす。オッケーっすか?」
と言った。
「今夜……? えっと……はい。ありがとうございます」
純也と話す春香を雄太は後ろから抱き締めた。
「春香は俺んだぞ」
「雄太のヤキモチ焼き〜」
「うっせぇ」
純也が笑いながらかまうと雄太はべーッと舌を出した。純也と梅野はゲラゲラと笑いながら寮へと帰って行った。
春香はクスクスと笑いながら振り返った。雄太は春香の耳元にキスをする。
「耳まで冷たくなってる。早く家に入ろう。風邪引いたら困るからな」
「うん。雄太くんヤキモ……」
「い……言わないでくれ、恥ずかしいから」
春香の事をヤキモチ焼きだと言う雄太もかなりのヤキモチ焼きである。
初めて二人の新居での食事は豪華だった。雄太のリクエストの唐揚げも勿論ある。明日、妻となる春香のエプロン姿はやはり胸に来るものがあって、ジッと見詰めてしまっていた。
(明日……明日、役所に届けを出せば春香は俺の妻になる……。俺の妻春香……)
初めて会った日の春香。初めて告白した日の春香。初めてデートした日、初めてキスをした日。そして初めて夜を共にした日の春香。色んな春香を思い出す。
「どうしたの?」
テーブルに着いた春香が雄太の顔をジッと見た。
「ん? 俺、幸せだなぁ〜って思ってさ」
「私も幸せだよ。これから、毎日雄太くんが帰って来てくれるし」
仕事が終われば毎日雄太が帰って来てくれる。結婚をすれば大半の人が当たり前だと思う事が嬉しい。電話をする時間を気にする事も、会えない日に淋しく思う事もなくなる。
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ〜」
「うん、これ美味いな」
直樹達と話し合い春香は結婚後も東雲の従業員の籍を残す事になった。大会等があり、その前に施術してもらいたいと言う予約が残っているからだ。他にも切望する人達がいた。
だが、予約がない日は一日時間があり凝った料理が出来ると嬉しく思っていた。
「夕飯のリクエストあったら遠慮なく言ってね? 時間がかかる料理でも大丈夫だし」
「ん? あ〜。これからは毎日春香の料理食べられるんだよな。毎日メニューを考えるのも大変だろうし、食べたい物があったら早目に言うよ」
「うん。そうしてもらえると嬉しいな。お料理好きだしメニュー考えるのも楽しいんだけど、リクエストしてもらえるぐらいに気に入ってもらえるの頑張って作るね」
春香の笑顔と気遣いが嬉しかった。テーブルや冷蔵庫等春香が使っていた物があるから、いつもの日曜日と変わらない感じがしてはいるが、これからはこの風景が日常になる。
「あ、この辺のお店で雄太くんが行ってる所に行きたいな」
「この辺ってあんま店ないけど、時間ある時に結婚しましたの挨拶と散歩を兼ねて行くか」
「うん」
この日食べた生ハムの入った生春巻きが気に入った雄太はリクエストをした。
『疲れてるでしょ? ゆっくりしててくれても良いんだよ?』と言う春香の隣に立ち、並んで洗い物をするのでさえ楽しく思った。
「じゃあ、お風呂入って来るね」
「んじゃ、俺は先に寝室に行ってるな?」
「うん」
片付けが終わった春香は風呂に入りに行き、雄太は土日のレースの録画を見る為に寝室へと向かった。




