286話
11月27日(日曜日)
雄太はマイルチャンピオンシップに出走をした。
明日、入籍をする雄太にとって独身最後のG1参戦。調整ルームを出るまで、春香へ勝利をプレゼントしたいと思っていたが、接戦の末二着であった。
(次は……絶対勝つ)
熱い闘志を胸に秘め、全てのレースを終えた雄太は調整ルームに戻り荷物をまとめた。
(えっと……忘れ物はないな)
もう一度グルリと部屋を見回してドアを開けると純也を始め、複数の先輩騎手が顔を揃えていた。
「い゙っ⁉」
(な……な……何だっ⁉)
ドアを閉め深呼吸をしてから、ソォ〜っとドアを細く開けると梅野の手がドアをガシッと掴んで無理矢理大きく開け放たれた。
「何で閉めんだよぉ〜」
「そりゃビックリしますよっ‼ 何なんですかっ⁉」
「雄太、何をそんなに急いでるんだよ? てか、飯行こうぜ」
「ソルっ‼ 行かないの分かってて言ってるだろっ⁉」
全員がニマニマと笑っている。春香の前ではしっかりしていると思われがちではあるが、弟キャラとして定着してしまっている雄太は先輩騎手達のオモチャだ。
(こ……この人達はっ‼)
「俺はっ‼ 帰るんですっ‼」
「えぇ〜? ど・こ・にぃ〜?」
「知ってるのに訊かないでくださいっ‼」
純也が雄太の体をガシッと抱いて拘束する。
「なぁなぁ、今夜は新婚初夜?」
「入籍は明日っ‼」
「入籍前夜に何するんだよぉ〜」
「訊かないでくださいっ‼」
「今夜は何回するんだよ?」
「ソルっ‼ とにかく離せぇ〜っ‼ 俺は家に帰るんだぁ〜っ‼ 春香が待ってくれてるんだからっ‼」
ジタバタとする雄太に先輩騎手達はゲラゲラと笑っている。頼みの綱の鈴掛は東京に行っていて京都に居なかった。
たくさんの先輩達から
「干からびるまで頑張れ〜」
と、ピンク色のエールを送られ雄太はフラフラと調整ルームを後にした。
トレセン近くの比較的新しい住宅と少し古い家が立ち並ぶ広めの道路沿いのエンジ色の屋根の二階建ての一軒家が見える。
家が近付いて来ると胸がドキドキする。
(春香が待っていてくれるんだ。春香の家じゃなくて、俺と春香の二人の新居で)
雄太の荷物は金曜日までに運び入れて、春香の荷物は土曜日に引っ越し業者が全て運び入れていた。ガスや電気や水道も使えるようになっているし、電話も開通している。
(いよいよ、春香と暮らせるんだ……)
曲がり角を曲がると玄関の灯が見えた。駐車場の前に車を停めてゲートを開けようとすると奥から春香が走って来た。
「雄太くん、おかえりなさい」
「ただいま」
雄太はゲートを開け春香を抱き締めた。
「寒いのに外で何してたんだ?」
「雄太くんの荷物が入ってた段ボールをまとめたから外に置いておこうって思って」
「あ……。俺、荷物片付け終わらない内に調整ルームに入ったから。ありがとう、春香」
「うん」
雄太はとりあえず車を駐車場に入れた。そして、荷物を持つと待っていてくれた春香の肩を抱く。
「この辺は山手なんだし、冷えるから外に出る時は何か羽織れよ?」
「うん。てか、日が暮れたら本当に暗いね〜」
「草津の駅前と比べたら駄目だって」
ほんの数メートル並んで歩くだけでも今までとは違う気がした。
雄太が玄関ドアを開けようとすると
「あ、ちょっと待ってて」
と、春香が雄太を置いて玄関の中に入りドアを閉めた。
(へ? 何で?)
雄太がそう思って立っているとドアが開いた。
「雄太くん。おかえりなさい」
(あ……)
満面の笑みで春香が言う。
「ただいま、春香」
荷物を足元に置いて、思いっきり抱き締めた。春香の腕が雄太の体を抱き締める。
(春香……、春香……。俺の春香……)
誰にも渡したくないと思い、幸せにするんだと誓った春香が腕の中で笑っている。
いつかG1を獲ったら鷹羽春香になってもらうんだと願った春香が腕の中にいる。
(俺は幸せだ……)
腕を緩めて、ただいまのキスをする。その幸せを噛み締めた雄太だった。




