283話
「『たくさんお裾分けをいただいてありがとうございました』って皆さんから伝言です」
水曜日の夕方、雄太は東雲を訪れていた。
「ん? あれは春に届いた物だからな。礼は俺達じゃなくて春に言えば良いよ」
「そうよ。鷹羽……じゃなくて、雄太くんのご実家も大変だったんじゃないの?」
里美はつい苗字を呼んでしまい名前に言い直した。それに気付いた雄太は少し悩んで訊ねる。
「いえ。うちは祝勝会で婚約を知ってくれた方々が多かったので、そんなには。……てか、俺が名前で呼ばれるなら直樹先生と里美先生を『お義父さん、お義母さん』って呼んだ方が良いんでしょうか……?」
それを聞いた直樹と里美は顔を見合わせた。
「あ……。そうなるのか……」
「何か……不思議な感じね」
「それは君に任せるよ。入籍してからでも良いし」
「はい。ん?」
ふと顔を上げた雄太は壁に鈴掛、梅野、純也のサインが飾ってあるのに気が付いた。
「あれ? 皆のサインなんてありましたっけ?」
「ああ。昨日、兄さんが鈴掛さんにサインをもらいたいって言ってさ。で、今まで来てくれてたのにサインもらってなかったって春が言って書いてもらったんだよ」
「そうなんですね」
その時、VIPルームのドアが開き、春香と体格の良い男性が出て来た。春香は雄太を見てニッコリと笑いながら、正面出入り口に向かって行った。
(あの男性、柔道の選手だったよな?)
春香は、雄太のプロポーズを受けてからも予約は取っていたが、祝勝会の場で結婚が決まり、帰宅してから予約を取らないようにしたいと直樹達に言った。
「雄太くんとの生活に影響があるのは、やっぱり良いとは思えないの。いつ入籍するにしても、もう予約はなしにしておきたいなって思って」
そう言う春香に直樹も賛成し、ホームページに『市村春香の退職について』と婚約報告と予約停止の旨をアップし、予約はそれまでに入っているものだけにしたのだ。
「雄太くん、お待たせ」
「お疲れ、春香」
二人で並んで話しているのを見ると直樹は春香の結婚が近いのだとヒシヒシと感じた。
「春、ゆっくり家で話をすれば良い。もう予約はないんだし」
「はい、お父さん」
花嫁の父モードには入るが、春香に『お父さん』と言われるとやはり目尻が下がってしまう直樹。
春香はVIPルームに戻り、大量のタオルの入ったバスケットを抱えて出て来た。それを雄太がさり気なく持ってやると春香は満面の笑みを浮べた。
「お義父さん、凄いね。ポンと家を借りられるんだぁ……」
「俺もビックリした。これ、鍵な。それとこれに家賃の振り込み先とか書いてあるから。で、こっちは地図な」
雄太は慎一郎に渡された鍵と紙を二枚渡した。
「ありがとう。私の方が荷物あるし、先に鍵もらえるの助かる〜。家電とかは今使ってるの使うので良いよね?」
「春香ならそう言うと思った。でな……」
雄太は慎一郎から家を建てる話が出た事を伝えた。
「そうだね。私も、家を建てるのは賛成だな。子供が出来た時に借家だと傷付けたりしないか気になるし」
(子供……。春香と俺の子供……)
雄太は慎一郎と理保が孫を待ち望んでいる話もした。そして、慎一郎がずっと前から春香を気に入っていた事も。春香はうんうんと頷きながら聞いていたが薄っすらと涙を浮べた。
「嬉しい……。お義父さんとお義母さんにそう言ってもらえるなんて」
雄太は春香の頭を撫でる。
「父さんが、もっと早く素直になってくれてたら春香を悩ませずに済んだんだよな」
「ううん。お義父さんが私を認めてくれてたのが分かったからもう大丈夫。私も雄太くんに素直に好きって言えずにずっと悩ませてたしね」
雄太は、そう言われて笑った。
「新しい家電は家を建てた時に考えような」
「うん。私、家には拘りたいんだぁ〜。雄太くんがのんびりと寛げる家にしたいな。子供達も伸び伸び出来るような」
「そうだな」
競馬以外での夢が出来た二人は、顔を見合わせて笑った。




