274話
「市村さん、お疲れ様ぁ〜」
上品なワインカラーのスーツを着た梅野が春香に声をかけた。
「あ、梅野さん。司会お疲れ様です」
「さっきは格好良かったよぉ〜」
「は……恥ずかしいです……。あ、雄太くん。私、謝らなきゃ」
梅野に褒められて顔を赤くした春香が慌てて雄太の手を取った。
「謝る? 何を?」
雄太は目を丸くした。春香が謝らなければならない事が思い当たらなかったからだ。
「せっかくのお祝いの場なのに雰囲気悪くしちゃった……。ごめんなさい。土下座出来ないだろって言われても我慢しなきゃなんなかったよね……」
「あ……」
大人になれば流せるかも知れない事ではあったが、社会人とは言え春香は東雲以外で働いた事がない。社会の常識がどこまでかが理解出来ていない部分が多い。大人であり、子供である。
「えっと……確かにそうなんだけど、俺もブチ切れそうになってたから……」
「雄太が反論するなり何なりの行動をしたら問題になってたのは確かだ。春香ちゃんが行動して救われた部分はあるけど、これからは自重しないとな」
焦る雄太の後ろから鈴掛が声をかけた。
「はい。もっと大人になります」
春香が小さくなりながら言うと鈴掛は小さく息を吐いた。
「そもそも、土下座がどうとか言い出した側にも問題あるんだがな……」
「そうっすよね? 出来ないだろって言われてやっちゃう市村さんもスゲェけど、若い女の子に言うセリフじゃないと思うっす」
純也は皿に大盛りにしたローストビーフを大切そうに持ちながら言った。
「ソル……。お前、どれだけ食うつもりなんだよ……」
「え? まだ三回しかお代わりしてないぞ?」
純也のセリフに皆が吹き出し、一気に場が和んだ。
雄太の手を取りながら春香はチラチラと会場のドア側に視線を移す。
「どうした? あ、もしかして……?」
「うん。お父さん達どうしたかなって思って……」
鈴掛が顎に手をあてて小さく息を吐いた。
「気になるな……。俺が見て来よう」
「良いんですか?」
春香が縋るように鈴掛を見た。
「ああ。春香ちゃんも雄太も会場から長く離れる訳にもいかないだろ?」
「そうですね。お願いして良いですか?」
雄太は鈴掛に慎一郎達の様子を見て来てもらうようにお願いした。鈴掛は頷くと会場を後にした。春香は心配そうに見ていたが、もし揉めていても鈴掛なら何とかしてくれるだろうと思った。
数分後、会場に慎一郎達が戻り、雄太達の所に近寄って来た。
「雄太、市村くん」
「「はい」」
慎一郎の呼び掛けに雄太達の声が重なる。
「二人の結婚を認める。これからは二人で手を取り合って頑張ってくれ」
雄太は驚き、春香の顔がパァッと輝いた。
「本当に……? 良いのか……?」
「ああ。雄太はこれから世帯主として責任を持てよ? 結婚はするのは簡単だが、長く平穏に続けるのは難しいからな?」
「ああ。ありがとう、父さん」
慎一郎は雄太に言うと頷き、春香を見た。
「市村くん。雄太はまだまだ頼りない処も多い。君の支えが必要な事も多いだろう。雄太の事を宜しく頼みます」
「いえ……。私の方が助けてもらっていますし頼っています。私は世間知らずなので……。でも、精一杯支えて行きます。宜しくお願い致します」
春香は深々と頭を下げた。
「春香……」
「なぁに? 雄太く……うわっ‼」
雄太は感極って春香を思いっきり抱き締めた。
「春香っ‼ 結婚出来るんだっ‼ 良い日を決めて結婚式をしようっ‼ いつが良い? 俺はいつでも良いぞ」
「うん。えっと、とりあえず落ち着いて?」
「住む所も決めなきゃな。忙しくなるぞ」
周りに大勢の人が居る事は雄太の頭からすっぽり抜け落ちているようだった。
「今、ここで結婚式したいぐらいに嬉しい」
「うん。私も嬉しい。雄太くんと一緒に暮らせるんだね」
二人はしばらくの間、黙って抱き合っていた。
里美と理保は涙を浮かべていて、直樹は必死で涙を堪えていた。




